序章 教材の中の「高天原」
このとき、「たかまがはら」と読まれていた事が鮮明に記憶に残っている。そこで、歴史学や歴史教育においては、「たかまがはら」との読みが通説であると理解した。爾来、「高天原」は「たかまがはら」であると、したり顔で後輩諸氏に説くようになった。
しかし、教育者として研鑽を積む中で、生徒や学生たちに、わざわざ「たかまがはら」と訓読させ、これが正解であるとする事に、いささかの疑念を感じるようになった。
どうして「天」を「あま」、あるいは「あめ」と訓ぜず、「まが」と矯正するのか。果たして如何なる根拠に基づいているのか。
高校教師(社会科)となってから、国文学(上代文学)の分野では、「高天原」は、「たかまがはら」ではなく、「たかまのはら」と訓読することにほぼ統一されていることを学んだ。
高校『倫理』の教科書(東京書籍)における「日本思想の源流」の単元でも、「たかまのはら」と訓読されていた。
近年では、「たかあまのはら」の訓読が、上代文学研究の第一人者ともされる神野志隆光らによって有力な説になっている注1)ことも学んだ。
歴史教育のフィールドではいかがであろうか。
戦前の国家神道に対する反省、および、連合国総司令部(GHQ)の国家神道の停止命令(いわゆる「神道指令」)の影響から、日本神話や神道が、戦後の学校現場で歴史教育の教材として取り扱われることは、特に公立学校は無く、あったとしても批判の対象がほとんどであった。
ところが、平成13年度の扶桑社版『新しい歴史教科書』では、見開きコラムなど4頁にわたって日本神話が記載された。
日本神話が教科書に記載されること自体、戦後の歴史教科書で初めてであり、画期的なことであった。
そしてその後、平成27年度中学校歴史教科書(学校では28年度4月からの使用)では、なんと、全社が日本神話に関して大コラム又は小コラムをもうけて説明している(「学び舎」の小コラムは記紀神話ではなく、「『常陸国風土記』に書かれた富士山と筑波山」と『風土記』の神話を題材にしている)。
なかでも、東京書籍、教育出版、清水書院、自由社、育鵬社の5社は2頁分のコラムをもうけて取り上げている。学習指導要領の改訂によって、中学校歴史教科書における日本神話の比重が如実に大きくなったのである。