第1章 ツアー計画

01 2020年6月6日キックオフ

筆者が、当時の勤務先である東京・新宿の病院を退職し帰郷したのは、2020年3月14日だった。結構強い雨が降り、気温も低く寒い日だった。引っ越しのためにレンタルしたワンボックスカーを一人で運転してきたが、御殿場あたりでは雪交じりの風雨にたたられた。

5年間単身で過ごした東京を去り現役を退く、我が仕事人生の総決算との悲壮感も少しはあったが、むしろ以後の自由人としての生き様を夢想しながら案外気楽で楽しい道中になった。

しかし、眼前の氷雨と年度末のせわしさゆえか、東名高速道は東京から浜松までかなり混雑しており、6時間もかかってしまった。若い頃の元気走行の倍もかかってしまった計算だ。

しかし、浜松に着く頃にはようやく天気が回復し、東京の生活で使っていた荷物を降ろす頃には、雨はすっかり上がった。荷物なぞと大げさなことを言っても、単身ゆえに、一番かさばったのは布団一式だった。そして、レンタカーを返却する頃には太陽が顔を出してきた。

これからの生活が文字通り「雨降って地固まる」という目出度い図式になるかもと、幾ばくかの希望が湧いてきた。このとき筆者は、後述の通りリタイヤしてすべての時間が自分のために自由に使えるようになることから、大きな企てを心中に秘めての帰郷だった。

浜松に落ち着き、生活のリズムも整い始めた頃、知人の新聞記者に我が計画を伝え、記事にしてもらえぬかを相談した。第1回目のメンバー公募だ。そう、東京での生活の最後の頃にようやく心中の企てがおぼろげにも形を成し、何をしたいかが明確になりつつあった。

キャッチコピーは、「気力、体力、知力を使い果たす前に、生涯の大旅行をしよう」であり、生涯の大旅行とは、「大型キャンピングカーで北米大陸横断冒険行」という大法螺(おおぼら)だった。そして決行する時期は、2年後だということも明確にしておいた。

記者からは、一応聞き取りはしておくが記事としていつ新聞に載せられるかは、約束できないと釘を刺されていた。