圓光寺に来た頃は、志乃とふざけ合う半三郎と一緒になって遊んでいた弁之助であったが、腕を上げやがては半三郎の師となった武蔵は、志乃にはいつしか尊敬する殿方という意味合いを持つようになっていた。

武蔵にも一緒に遊んでいた志乃が、やがて美しい娘へと成長していく姿にハッとさせられる瞬間が再三再四訪れるようになっていた。ここ龍野が、武蔵にとって初めてわが居場所となっていたのである。

忠右衛門の騒ぎがあった翌未明、まだ多くの者が眠りについている寅の刻(午前四時)、武蔵は一人そっと圓光寺を旅立った。武蔵にとって剣の頂を目指すこと、これが最も肝要なことであり、そのためにはより強き武芸者との対戦は欠かすことのできぬものであった。

武蔵は宮本でも平福においても、一人でよく近くの山に分け入り、山中を走り回って剣の修行をするのを好んだ。山の中が武蔵の友の如き場所であった。

龍野を旅立ち、いまこうして佐用の上月を目指し、一人山河の碧深き奥へと分け入っていくことに充実した思いを抱いていた。己は、このように一人で山の懐に抱かれていることがたまらなく好きなのだということを実感していた。

上月に着いた。ここでは、山中で木太刀を振るい、天狗岩で座禅を組むなどして来たるべき日に備えた。

そうして数日が経った頃、一人の山伏に出会った。京から但馬を経て、鳥取から来たという。そこで、この山伏に但馬の噂の武士のことについて知っているか尋ねてみた。山伏は、この武士のことを知っていた。

「その者は京から流れてきた武芸者で名は秋山といい、だいぶ前から三川山の行場で修行を続けていると聞いている……」

「是非、会ってみたいと存ずる。何流の使い手でござろうか?」

「京八流(きょうはちりゅう)の流れを汲む流派らしいが、良くはわからぬ。命を無駄にするなよ」

山伏は武蔵が試合を挑むには若すぎると思ったのであろうか、武蔵にはよけいなことだと思わせるような一言を残して去った。

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