そうすれば、その引き寄せた一つ一つの災いの点と点が繋がり一本の線となり、その線の先端が天から下りてきていて自分と繋がっていることに気付き、目には見えないとてつもなく大きな存在に対して抑え切れない程の感謝の気持ちが、心の底から自然にとめどなく湧き上がってくる。
周囲から親切にされたり誰かから金品をもらったりなどと、自分に利益が有った時に感謝の気持ちを持つことはそう難しいことではないが、ここでいう感謝とは、自分にとって非常に厳しい災いに対して無意識に湧き上がる気持ちのことをいう。
人によっては、自分の想像を遥かに上回る壮絶な災いを死に物狂いで乗り越えた時、形式的なテクニックとは程遠い、内なる心の叫びのようなものが自然と湧き上がり、感謝をしないではいられない気持ちを体験する。
災いとの縁は、目には見えないがとてつもなく大きく、科学等では到底説明のつかない力を受け入れざるを得ない、とても重要な瞬間のように思う。
私が体験した災いという神縁を、第三者が聞くと、世間では有りがちなことなのでわざわざ人様に紹介するまでもないと映るかもしれないが、如何せん、その時の私にとっては、突如として襲ってきた得体の知れない怖ろしい妖怪との戦いでしかなかった。
少々見苦しい神縁ではあるが、まるで生き物のように私達家族に絡みついてきた災いという神縁を、一つの例として読んでもらうことで、災いとは忌み嫌うことでもなければ、払い除けることでもなく、自分自身の魂(心)が成長するには欠かすことのできない有り難い存在であることを、更に、その災いは、目には見えないとてつもなく大きな存在と自分とが繋がっているとても重要で有り難い糸なのだが、この糸こそが実は神縁という名の災いであることを、感じ取ってもらえると、嬉しい限りだ。