第二章 カナダ赴任
当時スティーブストンには、約二〇〇家族の日系漁民が住んでいた。鮭漁は資源保護政策のために、六月から十月までの週に二、三日しか操業できない。漁の開始時間、終了時間も決まっている。監視船が常時見張っていて、密漁をすると罰せられる。
夏の鮭漁の時期だけを漁場で過ごし、一年分を稼ぐ。そして、漁ができない時期は国からの失業保険で暮らす。「一年を五十日で暮らす漁師たち」と言われる所以である。
ここの漁師の奥さん方は、缶詰工場やイクラ工場で加工の仕事をして働く。これも漁の盛んな時期だけの働きなので、漁のない時は失業保険が下りる。
ただし、その夏の間はとにかく忙しく、朝早くから夜遅くまで新鮮な鮭がたくさん獲れるので、夫は船で妻は工場でがむしゃらに働くのだ。工場では真夜中の残業があり交代で働いた。夏場の忙しい時期を過ぎると、ほっと一息、夫婦でゆっくりできる。
漁師たちの中には、冬何もない時は製材業や船大工の仕事、庭仕事に精を出す人もいた。
長い冬の間、奥さん方はどこかの家に集まっては、編み物などの手芸をしたりしながら、おしゃべりに花が咲いた。
紗季もせっかくカナダに居るのだからと、夫婦おそろいのカウチンセーターを編んだ。大きな太い棒針でこれまた太い毛糸で編むので、進みは速い。袖と襟の取り付けが難しかったので、編み物が得意な方の家に行き、教わりながら仕上げを編んだ。