第二章 中学野球編
葉山での初めての合宿は、胸躍るものだった。こんなに大きな別荘など見たこともなく、中学生四人に加え、ときおり訪れる広大おじさん、京子おばさん、渉さん、花笑さんがいても、まるで狭いと感じなかった。
五人は砂浜を走って足腰を鍛え、テニスコートで練習をする花笑さんにはテニスのサーブを打ってもらい、スピードに慣れる訓練をした。
それにしても、中学3年生の花笑さんの美しさは、雑誌モデルかテレビタレントのようで、たちまち僕らのアイドルになった。初対面のとき、
「こんにちは。あなたが太郎くんでしょう? 噂通りって感じね。いつも弟がお世話になってます。姉の花笑です。鎌倉学園女子中学の3年生よ」
「は、は、はい」
顔が真っ赤になって何も言えなかった。完全に初恋といった感じだった。僕はほとんど花笑さんとまともに会話出来ず、いい大人になった今でもそのときのことを後悔している。
花笑さんはすでにテニスのジュニアランキングで日本上位に食い込んでおり、英児と同じく上背がある恵まれた身体から繰り出す高速サービスが絶対的な武器だった。
古いラケットを借り受けてサーブを追ったが、英児のストレートを上回るスピードに、誰一人ついていくことは出来なかった。しかしダッシュの訓練、動体視力の訓練としてはこれ以上のものはなかった。巨漢の中島にはダイエットの効果もあっただろう。
「すごいです。こんなに速いなんて、信じられないですよ」
ボーイズリーグで鳴らした坂本ですら、すぐに音を上げた。
「まだまだ。全国は広いわよ。私だって関東ジュニアでは優勝したけど、全国ではまだ全然だめだもの。ベスト8がやっとよ」
いや、それでも十二分にすごいことだと皆が思った。そして、時々は、忙しい野球部の練習と勉強の合間を縫って、渉さんがやってきてくれた。
当時、地元のK高校野球部主将で、春の選抜で3番ショートとしてプロ野球スカウトも注目するほどの活躍をしていた身近な英雄だった。特に同じポジションの坂本は、大喜びだった。
「沢村さん、選抜見ていました! すごい活躍でしたよね!」
「いや、何。3回戦負けだからね。それより、よく来てくれたな。弟はああいう頑固者だから友達が少なくてさ。有難いよ。君は坂本君だろう、音羽ドルフィンズにいた。知っているよ、俺もリトルリーグ、シニアリーグにいたからね。いい選手が出てきたって噂は聞いている」
坂本の感動ぶりはすさまじいものだった。
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