それでも、学校では当然のように、そうした価値を強調し続けている。最近では、将来の夢を聞かれたり、書かされたりすることさえ〝ハラスメント〟だと拒否反応を示す生徒もいる。多様化はそこまで進んでいるのだ。

慶応義塾大学卒業後リクルート勤務を経て、多摩大学の事務職員に転身、中学高校の生徒、保護者、教員向けに多数のキャリア講演活動(延べ五六回・一三〇〇〇人超)の実績を持つ高部大問氏は、次のように述べている。

「……私が現場で相談を受けるのは、『夢なんて無いんですけど、(就職試験の面接で)どう答えればいいんですか』という嘆きや不満の声です。私はこれを『ドリーム・ハラスメント』と呼んでいます。嫌がらせだと感じる受け手が後を絶たないからです。」

(高部、二〇二〇年、四頁、( )内は引用者による) 

この高部氏の指摘でもわかるように、世の中はこれほどまでに多様化した価値観に溢れ、多くの教員が絶対だと信じて疑わなかった価値が、次々に相対化されつつあるのだ。

そして、忘れてならないのは、学校の相対化は数十年前からすでに多くの専門家によって指摘されてきたということである。 

社会の多様化とそこから生まれる相対化の全容を知ることは難しいとしても、その存在を認めようとする姿勢は、公立学校教員に欠かせない視点であるはずだ。

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