それからもう一つ、僕が早起きを頑張れた理由がある。母の友人には娘さんがいて、確か当時小学校3年生だったと思う。僕が起きると気配で目が覚めるのか、僕だけ先に頂く朝ご飯の時間を一緒に過ごしてくれた。

いたずらなのか、お手伝いなのかわからなかったけど、お箸を僕のみそ汁のお椀に入れてグルグルまわしたり、テーブルの上に両肘ついてじっと僕が食べる姿を眺めたり。寝ぼけまなこで起きている姿が可愛かった。

こうして、朝起きて基礎問題を解き、学校でもこの時ばかりはちゃんと勉強し、そして下校してからは塾、帰宅してから塾の復習、という生活のサイクルが始まった。やることが決まり、それを実行していくと焦りは消えていった。

でもその落ち着きも残念ながら長くは続かない。週末毎に実施される定期テストの成績がさえないのだ。さえないどころか、成績の順位は下から数えてすぐのところに僕の名前があり、定位置かのごとく暫く同じ状況が続く。

ここはやはり頼るは遠藤先生しかいない。先生をがっかりさせるのではないかと思うと、言いづらかったが仕方がない。ところが状況を聞いた先生は、「大丈夫」と、動じる気配がなかった。

「まだやったことがない問題が出て、それができないのは当たり前。そのうち、おや、この問題は知っているぞ、或いは似ている問題やったことがあるぞという時が来る。その時できれば問題ない」と。

それから数週間、1か月、2か月と経ち、程なく確かに定期テストの成績も上向き始め、受験が近くなるにつれ定期テストの成績は上位に名を連ねるようになっていった。

ある日、遠藤先生に呼ばれた。「受験校をもう1校増やさないか」という、想定外の提案だった。しかもその候補に挙げてくれた学校は、僕が受けようとしている学校よりなんと偏差値が高い。「今の実力なら、もっと上を目指せるぞ!」

でも僕の受験は「母の望んだ学校に行く」が、唯一のミッションだ。「より高いレベルの学校を目指す」ことは、目標ではなかった。提案はありがたかったが、受かっても行かないことがわかっているなら受けない、と返事をすると遠藤先生はあっさり引いた。

きっとこういう返答をすることは、恐らく遠藤先生はわかっていたのだと思う。もともと普段あまり勉強をする習慣がなく、受験準備開始も遅く、初期の成績が散々だった僕に自信を持たせようと思ったのだろう。

当初絶望的と思われた中学受験だったが、ついに母が望んでいた学校に合格することができた。合格発表当日、自分の受験番号を確認すると、母が入院している田園調布中央病院へ急いだ。するとなんだか病院が騒がしい。1階で私を見つけた看護婦さんたちが騒いで走ってどこかへ行く。すると母の担当医が院長まで一緒に連れてきて、聞かれた。「合格したか?」

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