──週刊風神は一九七七年に創刊された大衆向け週刊誌。発行元は風ふう雷らいしゅっ出版ぱん(Who Lies?)で、週刊風神の他に月刊雷神(らいじん)を月一回発行していたが、諸般の事情により一九八六年に廃刊。その後、経営状況の悪化により一九九〇年に母体である風雷出版も倒産した──
「週刊風神は留萌記者がこの月ノ石を訪れた翌年に廃刊になっていますね。わずか九年間だけ発行されていた週刊誌だったようです。発売元の風雷社という出版社もその四年後に倒産の憂き目をみています」
意外な展開に春子さんも言葉を失っていました。
春子さんに礼を言って喫茶《ぱるる》を出た私は、その足で月ノ石資料館へと向かいました。《聖月夜》について今日までにわかったことを、浜村館長に報告するためです。驚きながらも喜ぶ浜村さんの顔が目に浮かぶようでした。
しかし、資料館に行くと浜村さんは不在でした。受付にいた眼鏡をかけた年配の女性が、
「あいにく館長は体調不良で金曜からお休みをいただいております」
と事務的に言ってきたのです。
「そうですか」
高齢である浜村さんの体調を心配しつつ、その不在に少なからず落胆する私に、
「あのう失礼ですが、もしかして佐伯さんですか?」
「はい、そうですが」
と答えると、
「佐伯さんが来たらこれを渡してほしいと、館長からことづかっております」と一通の封筒を手渡されました。
資料館の駐車場に置いた車の中で封を切ると、そこには流麗な筆文字でこう書かれていました。
「佐伯様
初めてお会いしてからしばらく経ちましたが、いかがお過ごしでしょうか。あなたのお越しをお待ちしていましたが、あいにく持病が出てしまい、明日から資料館をしばらく休むことになりました。私のいない間にあなたがいらした時のために連絡先をお知らせします。娘の家ですが、気遣いはいりません。何かありましたら、ぜひこちらまでお出でください。どうかご遠慮なきよう。
月ノ石資料館 浜村諭 」
手紙の二枚目に浜村さんの娘さんのマンションの住所が書かれていました。住所からすると隣の遠波駅の方が近そうです。明日からはまた仕事で時間が取れなくなります。せっかくこのようなお手紙までいただいたのだから、今日のうちに尋ねてみようと私は思いました。
浜村さんの娘さんのマンションは遠波駅に近い住宅街にありました。四階建てのマンションはこじんまりとしていながらも綺麗で、周囲の雰囲気も落ち着いています。
月ノ石の家にはたくさんの思い出はあるでしょうが、奥様を亡くされた今、浜村さんが娘さん一家との暮らしを選んだのも無理もないことだと私は納得しました。
「二〇二号室か」
【前回の記事を読む】お土産で蘇った記憶。改めて遺品を探すと芋づる式に思い出してきて…