ということで、最初からとても親切だった。志田は、代々この村の人なのだが、別の土地で長く学校の教師をしていた人だからか、塩硝造りに対して何か隠そうとしているような感じは全然なかった。むしろ積極的に塩硝造りの科学的な解明をしようと思っているようだった。
今までわかったことの研究成果について尋ねると、志田は今までの資料を見せてくれて、篠原の疑問に丁寧に答えてくれたのだった。
「床下の土に蚕の糞、人尿、山草を混ぜる、という作り方のことですが、そんな肥やしみたいな物が火薬の原料になりますかね?」
「いい質問だね。そうなんだよ、肥やしと同じなの。つまり、肥やしの成分って、硝酸塩のことで、それが水に溶けたものを植物は根から吸収するわけ。塩硝はその濃度をけた違いに高くして結晶にしたもの。
人尿の成分のアンモニア、山草、蚕糞、この三つの共通点はみな窒素が含まれているということで、その窒素と酸素が土の中の土壌菌の力で結合して硝酸になるわけ。薄いのが肥やし、けた違いに濃いのが塩硝。
ただ床下の塩硝はそのままだと土だから、それを煮詰めたり濾したりして寒いところに置いておくと白い結晶になる。それが最終段階の製品としての塩硝」
「ほんとですか、凄いですね。土から火薬の原料が出来るんだ。それは初めに誰が気が付いたんですか? 白川郷の人ですか?」
「いやいや、まさか。土から塩硝を作る方法はヨーロッパから伝わったらしい。一五四三年が鉄砲伝来なんだけど、その頃に、鉄砲と一緒に伝わったのかもしれない。一五七〇年の信長と一向宗の石山合戦には、もう五箇山の塩硝が使われたって資料に書いてある」
「五箇山って、白川郷と一緒に世界遺産に登録された富山県側の合掌集落ですよね」
「そう。江戸時代は、向こうは加賀藩で白川郷は天領。塩硝生産は五箇山の方が古くて、白川郷の塩硝生産は一六〇〇年代後半の元禄になってからの記録しかないよ。何かの理由で塩硝造りが加賀藩から越境して天領の白川郷に伝わったということだね」
「両方とも、合掌造りですよね。つまり、火薬で儲かったから建てられたのでしょうね」
【前回の記事を読む】この村で一体何が?とある単語を口にだすと村人は急に怒りはじめ…。