第二章 飛騨の中の白川郷

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なのに今この硝石という言葉が妙に頭に引っかかるのだった。篠原は白川村史をじっくり読み進めた。

そして前回は眉唾ものだと思って読み流した「塩硝(硝石)造り」という項目を今回は気を入れて読んでみた。しかし、どう読んでも、その作り方は土に山草と蚕の糞と人尿を混ぜて作るというのだ。それでまた篠原の思考は止まってしまうのだった。

それはどう考えても、肥やしだ。火薬になるはずがない。やはり村の言い伝えに過ぎないのではないか。科学的に実証されたもの以外は書けない。でも、この村で塩硝つまり火薬を作っていたのならば、この村の財源が実に見事に説明出来るのだ。

火薬は戦争に絶対必要な軍事物資だ。黒船来航の頃、幕末という歴史の激動期には各藩がこぞって戦争に備えて火薬を備蓄したことだろう。この村でもし火薬を作っていれば、幕末期にどんどん火薬で儲けられて、それで巨大茅葺き合掌家屋が建てられたという、理由と結果が、ぴったり説明出来るのだ。

まずは塩硝の作り方が科学的に実証出来ること、次には実際に作っていたかどうかを村人の話や遺構や古文書などの資料で実証出来ること、さらにどれくらい利益があったかをやはり資料で裏付けること、それらが出来れば、世界遺産白川郷の経済基盤は何だったのか、が解明出来るわけだ。

篠原は明日にでも、この村史の編集をした村の教育委員の志田という人を訪ねることにした。

その夜のことだ。いつものように篠原はいろいろ肴を用意して、河田が酔っ払いたちを連れてくるのを待っていた。

ところが、河田は河田本家の主人の、河田とは従兄弟に当たる河田太一郎を一人連れてきただけだった。しかし一人でも、河田より十才くらい年上でしかも本家の主人なので風格があり、圧迫感を篠原は感じた。河田もいつものように酔っ払うこともなく真面目な話をするのだった。