父の戦争

父の兄弟は八人

昔の貧しい時代                          

子供の数は多かった

兄弟の一人は戦死

海軍の軍艦に乗ってフィリピン沖で爆撃沈没

生前の父は生き抜いた

兄弟とよく靖国神社に通った

靖国神社で戦死した弟に詩吟を聞かせた

経済成長の昭和の時代

残った七人兄弟は日本全国に

居を構え働き生きてきた

皆七十代八十代となり

病気や事故で亡くなり

平成の今は叔母一人となってしまった

叔母は一人で寂しいと呟く

でも夢の中で昔を思い出し

兄弟に会えると呟く

戦争を映像だけでしか知らない

我々はどう考える

戦争は起こしてはいけないこれは命題

誰もが思う

昭和平成と生きた私は六十歳定年だ

叔母の話に郷愁を感じる

人は何れ死ぬ

叔母の話を聞くと

返す言葉がない

再任用

定年退職六十歳となった

若い人の就職先がない

さりとて我々も六十五歳までの年金の

貰える時期までは働かないと食べていけない

若い人の就職先がないのもかわいそうだと

思うが我々も生きていかなければならない

両分けである

若い人が正職につけなければ

年金も掛けられない

我々も年金を十分に貰えない

どうなる日本

高齢まで働かなければならない

若い人は働けない 年金は掛けられない

不動産いわゆる農地の有る人はいい

自分の食べる作物を作れるから

困る人は土地の無い人達である

農業も六十代七十代の人達が主になってやっている

若い人達が農業をやらないと日本は食べていけなくなる

日本丸どうなる

定年退職者・若い職に就けない人達が農業をやるべきだ

いややってもらわなければならない

遊休荒廃地がたくさんある

これに定年退職者・若い職に就けない人達が働いてもらうべきだ

これ以外に日本農業の生きる道はない

頑張れ日本人達よ

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