第一章 認知症におけるEQ
EQを用いた介護の必要性
ある日の診察室での会話から……。
いつものように認知症の母親を連れて、息子さんが来院しました。息子さんは30代くらいで、いつも小学校低学年くらいの娘さんも連れて一緒に診察室に入ってこられます。いつものように3人並んで座られました。左から、患者さん、息子さん、お孫さんの順です。
「どうですか? 変わったことはなかったですか?」
私が第一声を発すると、お母さんは
「はい、なんともありません!」
と言われて、ニコニコとされています。しかしこの後、何も言葉は出てきませんので、私はまずお母さんの表情をじっと見つめます。
表情に暗い影は見えません。特に注意して目の光を見つめます。ちょっとした不安があれば、表情、特に目にかげりが見えるものですが、この方の目には何も浮かびません。
私は安心して、ゆっくりと視線を真ん中に座る息子さんに移します。息子さんを挟んで患者さんの反対側に陣取ったお孫さんはいつもと変わりなく、何かのおもちゃで手遊びしています。
「大丈夫そうですね、とてもいいようです。息子さんのほうには何か気にかかることはありませんか?」
こう話していると、いつのまにか息子さんの眉間にだんだんと深いしわが刻まれていきます。
「実は母がなかなかゴミを捨ててくれないんです」
「ん? そうなんですか?」
「ちゃんとゴミ捨ての日に電話をして、ゴミを捨ててって言ってるんですけど、結局捨ててないんです!」
ちょっと息子さんの語気が強くなります。
「ちゃんと約束したのに、捨ててくれないんです」
そしてお母さんのほうを向いて、こう言いました。
「ちゃんと約束したよね、なんで捨てないの?」
何かを言いたそうなお母さんは頭の中で言葉をさがしているのですが、なかなか言うべき言葉が見つからず表情が曇っていきます。
「まあまあ」と会話をさえぎり、私は話を始めました。
このお母さんを息子さんが初めて連れてこられた時、息子さんにはお母さんの状態に対して認知症という意識さえありませんでした。風邪を引いたお母さんがあまりご飯を食べないと悩んでおられた息子さんにケアマネージャーさんが当院への受診を勧められたのです。
一人暮らしをしているお母さんはちゃんと一人で生活できており、近くに住む息子夫婦がたまに訪問して生活の援助をしていました。最初の受診の時、風邪に関する問診で生活の状況を伺ううちに、私の中でケアマネージャーさんが私を紹介した本当の理由が見えてきました。
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