太田には、忘れられない光景がある。ロンドン五輪の翌年、東京五輪を招致した2013年末、駒沢で行われた全日本選手権だ。

男子フルーレの決勝は、太田と共にロンドン五輪の団体戦で銀メダルを獲得した千田健太と三宅諒。メダリスト同士の対決であるにもかかわらず、無料で観戦できる会場はガラガラ。関係者とメディアしかおらず、戦う選手の後ろは空席の椅子だけが並んでいた。

「五輪の時や終わった直後は、メダリストだともてはやされますが、その後どれだけの人がメダリストを覚えているか。1年、長くても2年が限界です。

それなのにいつまでもメダリストとしての価値や知名度だけで生きようとしていても難しい。そこからいろいろなことにチャレンジしていかないと人から必要とされる人材にはなれないですよね。それなのに〝メダルを獲ればすべてが一変します〟と協会が言うのはどうなんだろう、と僕は疑問がある。

そもそも五輪で戦う、そこでベストパフォーマンスを発揮するという点から見ても、応援は力になるけれど慣れなければガチガチになってしまうわけですよね。

だったら、僕が東京五輪に向けて選手たちのために何かやってあげられることがあるならば、日本で行う日本選手権や高円宮杯(ワールドカップ)はお客さんが満杯の環境をつくって、選手を慣れさせること。会長としてできる1つのことが、集客だと思って取り組んできました」

野球やサッカー、バスケットボールなどのプロリーグならば通年で試合が行われるが、フェンシングは日本国内での試合が限られる。そこでいかに注目を集め、集客するか。SNSやホームページ、新聞やWEB媒体などのメディア露出を増やし、東京グローブ座やLINE CUBE SHIBUYA(旧・渋谷公会堂)を会場に、決して安くはないチケット料金を設定する。

フェンシングのチャンピオンを決める日本選手権という頂点を争う競技会であるだけでなく、スポーツエンターテインメントの要素を高めるべく、光や音、ダンスやスポンサー企業による最先端技術を用いて、競技を可視化し感動を共有する。スポンサー獲得や演出など、太田が先頭に立ち、人脈を活かし最高の舞台を作り上げるべく尽力した。

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