第二章   結婚64周年記念を迎えた妻とのこれまで

この本、特に『60数年ぶりのラブレター』にご関心を寄せていただいた方々には、そもそも連れ合いとはどんなご縁で結ばれ、どんな生活体験をしてきたの?と興味を持たれる向きもおありかと存じます。個人情報をさらけ出すようでお恥ずかしいのですが、この場でちょっと妻とのこれまでを振り返ってみたく存じます。

その前に―。

妻・文恵がお世話になってきたケアマネジャー様から頂戴したメッセージ

文恵様のエピソード

二○一七年(平成二十九年)十一月~二○二一年(令和三年)四月まで担当ケアマネジャーとして関わらせていただきました。

定期訪問でお伺いすると、玄関まで出て来られ、いつも笑顔で迎え入れていただき、まるで自身の祖母の家に来たような、温かい気持ちにさせてくださいました。文恵様の笑顔は周囲を癒やし温かい気持ちにさせてくれる、そんな力をお持ちでした。

外出の予定がなくても綺麗にお化粧をされ、首元にはスカーフをあしらい、いつもお洒落にされている姿に、同じ女性として「素敵だな」「見習いたいな」と思っていました。

しかしこの頃から、すでに認知機能低下は少しずつ進行しているご様子でした。ご自身からも「頭がふわふわしている」「私、少しおかしいのかな」とお言葉がありました。

以前は、台所にずっと立って家事にいそしんでおられたとのことですが、博司様から「料理をしなくなった」など、日常生活に対する変化も聞かれてきた頃です。しかし博司様からそんな発言があると、文恵様も負けじと「私だってイケメンと一緒になりたい」と冗談を交じえた返しをされて、3人で笑い合いましたね。

そんな中でも、博司様のことをいつも心配しておられ、ご夫婦で一緒に利用していたデイサービスでもご主人の姿を追うご様子が度々見受けられました。

一方、博司様の方も、ご自身のリハビリに励みハードなスケジュールをこなしながら、文恵様のお身体を気遣い、文恵様にとってどうすることがよいのか真剣に考えておられましたね。お互い身体の不調を抱えながらも、相手の事を常に思いやる。

そんなお二人の姿に、長年連れ添った夫婦の強い絆を感じ、自分自身に置き換えて、同じ月日を重ねたとしても、こんな夫婦になれるだろうかと感慨深くなったこともありました。

以上、わずかなエピソードですが、3冊目の本ご出版に寄せて私の思いを記させていただきました。引き続き、お身体に無理のないよう頑張ってくださいね。

注: 妻の認知力低下が進む過程で種々相談に乗っていただき、お励ましをいただきました。大変お世話になってきたケアマネジャー様からこのようなコメントを頂戴し、恐縮いたしております。

佐武博司が綴る妻とのこと

山々が太平洋に突き出している紀伊半島南部和歌山県田辺市に育った私は、少年時代から“海外雄飛”という言葉に魅せられ、海外に憧れをもっていました。一九五七年三月に大阪の大学を卒業してすぐ総合商社・東京支社(その後東京・大阪両本社制に)に就職、東京中野区の独身寮に入りました。

入社後僅か1年半の一九五八年十一月に結婚、世田谷区のアパート生活を経て一九五九年五月、板橋区の小さな一軒家を購入して引っ越しました。 

妻も同郷育ちで、妻の長兄が大学の3年先輩であったご縁から、私が大学に入った年の夏休みに大阪の下宿から帰郷、先輩を訪ねた折に、当時地元の県立高校の3年生だった妹(今の妻)と出会い、大学在学中から卒業、入社後1年半の期間を経て、24歳になったばかりで結婚したのでした。

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