覚えていらっしゃるでしょう。母さんと父さんを亡くしたあと、兄さんはお腹を空かせた私のために、物乞いをしてくださっていた。自分の分は半分にして私に余分に食べさせてくださって兄さんはいつもガリガリに痩せて、お腹と背中がくっつくと虫が鳴き出すドンひゃらら、なんて変な歌を歌って私を笑わせていらしたわ。

養父母の家から兄さんがいなくなった時、私は毎日泣きました。

私のために兄さんがいなくなったとわかっていたからとても悲しくて、でも兄さんを恨んだりした時もありました。

不況のため、養父の仕事が減り、養子にできるのは私か兄さんか選ばなくてはならなくなったと聞いて、兄さんは私をひとり置いてあの寒い晩に黙っていなくなってしまわれた。私が九歳で兄さんは十三歳でした。

あれから、どのようにして生きてこられたのでしょう。

それを想像すると、私は身を切られる思いです。

とにかく、こうやって手紙を書いたのですが、私のことを少しお話しします。

私は一生独身で過ごしました。どういう訳か結婚というものに興味がなく、娘時代にそんなお話もいくつもあったのですが、その方たちをどうしても好きになることができなかったのです。

どんな格好のいい方でも、勤勉な方でも、お金持ちでも、兄さんと比べてしまってだめでしたの。こんなこと言うと、兄さんはお怒りになるかもしれませんね。

私は今日まで、ありとあらゆる手を使って兄さんを探しました。

なぜって、兄さんは自分を犠牲にして清潔なベッドと本とペンを私に与えてくださったのですもの。暖炉の火を見ると兄さんが寒い思いをしているのではないかと心配になり、ロマの人たちを見かけると兄さんを探しました。でも、探すのに、時間がかかりすぎたようです。

兄さんにも私にも、残された時間はあまりありません。

今の兄さんのご様子を知りたいのです。お元気であれば、私も幸せです。

お返事をいただくことができたら、とてもとても幸せです。

ドミニク

【前回の記事を読む】牧師の奥さんが死んだのは「未必の故意」!? 真実を知るのは…

【イチオシ連載】結婚してから35年、「愛」はなくとも「情」は生まれる

【注目記事】私だけが何も知らなかった…真実は辛すぎて部屋でひとり、声を殺して毎日泣いた