社内では、大神社長の見識と将来を見通す目は抜群であり、とりわけ人を見る目はずば抜けた才能の持ち主というのがもっぱらの評判であった。
今回の件で、事業本部の人たちにも迷惑をかけることになってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいであった。渉太郎の人事異動だけで済めばよいが、事の次第によっては幹部にも波及しかねない重大事になってしまったことを改めて思い知らされた。
大きな会議室に一団と一緒に入った。
テーブルのど真ん中に大きな身体の鹿野田副社長が鎮座していた。
「ずいぶん時間がかかったな。ところで、社長にはなんと説明したんだ」
鹿野田副社長は紅潮した表情で渉太郎を凝視していた。
「機器からノイズが出ると言ったとたん『なぜだ!』と聞き返されました」
あの場の状況を素直に説明した。
「いかなる理由にせよ、わが社の製品からノイズが出るということは、メーカーとしてあってはならないことだ。説明として不適切だったな。明日から君は説明会場に行かなくてよい」
と、鹿野田副社長から厳命された。
渉太郎を取り囲んで座っていた事業本部の幹部も、鹿野田副社長の「命」を当然といわんばかりに一斉にうなずいてみせた。
渉太郎は肩を落として自席に戻った。みじめであった。孤独であった。誰も言葉をかけてくれる者はいなかった。
翌日の国際コンベンションを控えて、お客様から一切の誤解を受けることのない説明資料に、急遽変更された。
この一件での幹部の異動がなかったことに渉太郎は安堵した。そして、渉太郎は製品企画課から海外マーケティング課に仕事が変わり、事業部内での配置転換となった。
海外マーケティング課に異動してからは、頻繁に海外出張する日々が続いた。飛行機による移動があたかも身近なバスに乗るような感覚であった。
仕事では、現地デザイナーに製品の意匠を任せるなど、いち早く現地生産による地産地消のシステムを構築し、北米での売れ行きに少なからず貢献した。その実績を背景に海外事業戦略室に移り、今後最も需要が見込める中国市場の事業戦略責任者となっていた。