たとえば仏教では、宗派による解釈の違いはあっても、前世、現世、来世の考え方はある。お釈迦様は、今を一所懸命に生きることが大事ですよ、そうすれば来世も良くなりますよ、と言っていたらしい。
それが、現代社会にどのように反映されているかを、ミャンマーの仏教聖地パガンとスリランカの仏教聖地アヌラダプラで、たまたま見聞したことがあるので紹介しておきたい。
ミャンマーでは、いたるところでパゴダ(仏塔)を建立するための寄付が日常的に行われている。私も道路を走行中、車窓から寄付に応じたことがあるが、ミャンマーの人たちは、来世のためにこのような功徳を積むことに熱心である。
そのことで、信仰心のあつい女性に仏塔より学校や病院の建設の方がいいのではないかと聞いたところ、自分はネクスト・ジェネレーションよりネクスト・ライフの方が大事だと思う、との答えが返ってきた。
スリランカには、インドからのヒンドゥー教の影響が色濃くあり、街角のいたるところにガネーシャ(象の姿をしたヒンドゥー教の家内安全、商売繁盛の神様。性愛の神様でもある)が、お地蔵さんのように鎮座している。
圧倒的に仏教徒が多いのに、ガネーシャが何故こんなにいるのと聞いてみると、仏様には来世のことをお願いして、ガネーシャ様には、現世のご利益をお願いしているという。実に私の好きなご都合主義的な考え方で、大いに共感した思い出がある。
次にキリスト教での来世についての考え方はどうなっているのだろう。何せ、教祖イエス様は蘇るし、宗教画の多くは死後の審判を描いていることからも、来世は根本的に信じられている。
ただし、ネクスト・ライフとしての来世というよりも、生前の行いが他の人にどれだけ貢献したかという審判の結果、魂の行き先が天国か地獄かという死後観が強いようである。