どんだけ青天の霹靂やねん

2018年8月31日金曜日

ずらりと並んだ面会室の一室に、連行された。初めての面会は、30分間だった。その後の面会時間は、取り調べとの時間調整や拘置所の都合により、20分であったり15分であったりすることもあった。

面会者がきちんとドアを閉めたことを確認してから入室し、刑務官が横に立ち、タイマーがセットされ、透明の仕切り越しに話をする。

最初に口から出たのは、「迷惑かけてごめん」という言葉だ。オカンは、泣いた。

僕が好きな干し芋や麩菓子を差し入れようとして持参してくれたそうだが、食品は、指定の店にある指定の物しか入れることはできないと言われ、拘置所のすぐそばにある、[丸の家]という店まで注文に行ってくれたそうだ。ところが、この日は金曜日だったため、月曜日にしか入らないとのことだったようだ。

その後、大阪拘置所が面会不可となる土日祝日以外は、ほぼ毎日、京都から電車で通ってくれたオカンは、毎回、その店から差し入れをしてくれることとなった。

店の年配女性と親しくなり、いつも励ましてもらい、そこで泣かせてもらっていたそうだ。その女性にもらった飴玉を、[人の優しさを忘れないためのお守り]として、今も大切にバッグに入れている。

2018年9月4日火曜日

拘束されてから、全てが夢なのだと、目を覚まそうと、何度、あるべき平和な現実が蘇ることを願ったことだろう。毎日、悲しく、悔しく、悶えるような苦しみが、突発的に襲ってくる。

この日、超大型台風21号が、関西を直撃した。交通網が停止し、京都から電車で通ってくれていたオカンも、面会に来られなかった。独居室の廊下の反対側には通用路があり、これを挟んで外窓となっており、上部のブラインドの隙間から、外の空が少し見える。

ここから雨風が入ってくることはほとんどない牢堅(けんろう)な造りだが、この時は、突風が舞い込み、通用路の重い消火器が倒れ、雨水も浸入した。

「もしこのまま水嵩(みずかさ)が増して、誰も鍵を開けてくれなかったら……」と、ふと思い、ぞっとした。

雷も凄かった。停電も2度あった。一瞬で復旧するのだが、ハリウッド映画なんかでは、こういう時には、各室のドアが一斉に開いて大混乱、というお決まりがあるなぁなどと、ぼんやり思ったりしていた。