大小の村落共同体あるいは広域共同体にとって、「男女夫々の相手をどのように調達するか」は種の維持の域を超え、生産力の確保・維持という死活の問題であった。狭い小さな集落において、成り行き任せ、親の決定で間に合っていたものが、権力(例えば集落の長のようなもの)で相手や組み合わせを決定するシステムが導入されたとしても、それがすべてであったとは考えにくい。
共同体が大きく広域化するに従い悩ましい問題として解決の「工夫」がされたことは想像に難くない。古代人が生活に則し考えたものに、無駄・不要はなく、生理的・具体的・即物的・動物的であったはずであり、しかも協力し合う群れ行動であった。
正に「必要は発明の母」であった。
広域共同体を巻き込み、「集団お見合い」を編み出したのである。それも、若者による「やらせてくれ」ではなく、村落有力者たちみんなの発案であったに違いない。
プレ歌垣・歌垣は、村落共同体間および構成家族における、「男女そのものの物々交換」として画されたもので、ある意味、性・婚姻・生産等すべてを内包する「自然史」であった。
ホモサピエンスは、地球上の生き物としていつの時代も、食べること(生命・生活の維持)と生殖すること(種と共同体の維持)の二つの要請を追求する。図らずも、プレ歌垣は見事にこれに応える。
この事態は、全体が本格的農耕社会に入った証左であるが、女性を生産のための手段と考えることを含め、様々な地域で様々な対応と行動が取られたはずである。
かくして、始源のうた歌謡は、経済・生殖・性愛のトライアングルの中心点上に、そしてこの自然史の上に、(プレ)歌垣の副産物として花咲くことになる。
(このような物言いは、うた歌謡を文化レベルで語りたがる国文学者や民俗学者にとっては、「晴天の霹靂」であり「身も蓋もない言辞」に違いない。シルクロードにおける後発の文化を商業・交易の道の脇に咲いた花とはとうてい許容できない方々と同じである)