アザレアに喝采を
Ⅰ 節制
きっかけは、たわいもないことだった。
ちょっとした軽口を言われただけなのに、真に受けて気にし過ぎた。それだけのことだった。
「やだぁ、栞(しおり)、お腹まん丸じゃないの、パンダみたいで可愛いわね」
同僚の杉山美香に就業後のロッカールームでからかわれた。
美香はスタイル抜群で、制服のタイトスカートから伸びたすらりと長い脚にハイヒールを履いて颯爽とオフィスを歩く。華のある美人だが気さくで、いつもはっきりとしたもの言いをするので裏表がない。だから美香は誰からも好かれて、一目置かれている。
冗談と分かっていても、美香に笑われたような気がして、栞は恥ずかしくてうつむいた。最近外食が続いているからか、スカートのウエスト辺りがきつくなっていたことは事実だった。
「ダイエットしなくちゃ」、栞の中で初めて芽生えた感情だった。
元々は159センチ45キロで決して太っているわけではなく、骨格が細いから華奢に見られるくらいだった。
学生時代にはどうしてもと頼まれて大学祭のミスコンに出たことがあるし、OLになってからは街中で取材を受けたこともある。写真をたくさん撮ってもらって、その中の一枚がファッション雑誌の「街角スナップ」に掲載されたことは、栞のちょっとした自慢だ。
つぶらな瞳とはっきりとした濃い眉、そして栞にはどこか凛とした雰囲気があった。
「よし! まずお菓子や甘いものは食べない。それからご飯は軽く一杯くらいにしよう」
こうして栞のダイエットは始まった。それは若い女性なら誰でもするくらいの、気軽なダイエットのスタートに過ぎなかった。
一九八〇年代の終わり頃、世の中はバブル景気の真っ只中にあり、それは栞が二十二歳の春のことだった。
暖かな陽射しのもと街のあちらこちらでは、アザレアが赤、ピンク、朱、白と色とりどりの花をつけ始めていた。栞の家の石垣にも、石の隙間を埋めるようにアザレアが生え、毎年ピンク色の大ぶりの花を咲かせていた。栞は馴染みのあるこの花が子供の頃から好きだった。春本番を思わせるアザレアの花を見ると、何か新しいことが始まる予感で期待に胸が膨らむのだった。