奥会津の人魚姫
(3)
「ちぃちゃんと初めて会った日、珍しく汐里が仏壇の前に立って何かをじっと見ていた。私も目的を持って仏壇に来たから、汐里が何をしているのかすぐにわかった。『びっくりしたね』と私が言うと、汐里は黙ってうなずいた。
汐里が見ていたのは、私たちが3つの頃に亡くなって記憶にも残っていない、お父さんの遺影だった。汐里と幼い頃から何度見たかわからないその写真は、ちぃちゃんに驚くほどよく似ていた。きっとちぃちゃんは、神様がこの家に連れてきてくれた、お母さんと私たちにとっての運命の人なんじゃないか。
口には出さなかったけど、私も汐里もその時そう思っていたの」
「ああ、千景は…………。そうだったのか…………」
「私と汐里はお母さんから、亡くなったお父さんの話をずっと聞かされて育ってきていた。お母さんの記憶を通して私たちの中にいるお父さんは、とても優しくて頼りがいのある、理想的な男性だった。だから私と汐里がちぃちゃんに恋心を抱いたのは、ある意味必然だったのかもしれないと今は思うわ」
そこまで話すと、乙音は鍛冶内のほうを見てかすかに微笑んだ。気のせいか、乙音の目が少し潤んでいるようにも思えた。いつまでも乙音とボート上で漂っていたい気持ちを押さえつつ、鍛冶内は船を元の場所へとゆっくりと近付けていった。
「もう1ヶ所だけ付き合ってくださる? おじさま」
ハンドルを握るとすぐに、乙音がそう切り出した。
「ああ、構わないよ。このまま沼に引きずり込まれても文句言わないよ、乙音ちゃん」
「ふふふ、その話、おじさまの中ではまだ続いてたのね」
乙音はおかしそうに笑った。そして竜神湖から町中に戻る途中の一画に車を停めると、後部座席から花束を取り出して、林の奥へと歩いていった。付き合えと言われていた鍛冶内も、躊躇することなく乙音の後を追った。
「ここに汐里が眠っているの」
鍛冶内が見ると、そこにはまだ真新しい、小さいながらも綺麗な御影石のお墓があった。
「10日は汐里の月命日なの。さっき食べたサンドイッチも、本当は汐里にあげるつもりだったものよ」
そう言うと乙音は花束を手際良く左右に分けて墓前に供え、お祈りのために腰を落とすと、墓の正面に向かって丁寧に手を合わせた。鍛冶内も同じように座ってお祈りをした。
「苦しかったね、汐里。ごめんね」