絵画教室

二月も下旬になって、まだ寒いながらも、昼間は日差しもほっこり暖かさを感じられるようになってきた。ここ東京・神楽坂も行き交う人々の表情が、心なしか、春に向かって明るく感じられる。私は、この地に生まれ、この地で育ち、今もこの地に暮らしている。

私は今年の一月に六十五歳になった。大学卒業後、都内のシンクタンク企業に就職して、経営コンサルティングの仕事に従事し、一月で定年退職した。無事に定年を迎えることのできた今は、ほっと安心している。

私は独身で、一度も結婚は、したことがない。大学は、経営学部で経営学を学んだ。中学・高校時代は、部活は美術部に所属し、主にデッサン画を描いていた。そんな関係もあって、定年後は、またデッサン画をやりたいと思って、インターネットで絵画教室を探していた。そして飯田橋に、絵画教室があるのを発見した。

先生は、東京芸大の美術学部絵画科を卒業していて、その人の個性に合った絵画を自由に描かせてくれるという内容のことが書かれてあった。それで、私は、すぐにその絵画教室に電話をして、体験入学させてもらうことになった。

教室のクラスはほぼ満席で、土曜日の午前のクラスなら空きがあるということで、二月の最終土曜日に参加させてもらうことになった。画材は先生の方で用意して下さるということで、私は手ぶらで教室に行くことになった。

その約束の土曜日になって、私は神楽坂を下って、飯田橋へと向かった。その絵画教室は、神楽坂下の交差点を渡った、千代田区側のマンションの一室にあった。その一室は、十坪ほどの広さで、イーゼルが十台並べられていた。

入り口を入ると右側に流しがあって、その向こう側にトイレがあった。流しの区画には棚があって、カンバスやスケッチブック、画材の入った用具入れなどが収められていた。私が入り口のドアを開けると、男性がトイレの掃除をしているのが見えた。

「こんにちは。先日電話をした坂元ゆきです」

男性が振り向いて私の方を見た。

「ああ、坂元さんですか。私は、このアトリエを主催している中島です」

「すみません。約束の時刻より早く到着してしまって」

「構いませんよ。アトリエの中へ入って、椅子に腰かけて、皆が集まるまで待っていて下さい」

「はい。お邪魔させていただきます」

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