母が言っていたのですが、山のなかであったのでよくムカデが家の中にいたということです。乳児であった私の枕元に大きなムカデがいて、ほうきであわてて外に掃きだした話を聞いた覚えがあります。

錦町にわたしがいたのはほんの数カ月だということです。その後、父親の仕事の関係で門司や尾道を経て、母親の実家のある福岡県福岡市内に移りました。そこで、幼稚園に入園することになりました。

ちなみに、錦町に祖父母が在住であるという人に10年ほど前に仕事の関係で出会い、いまも交流が続いています。仕事の打ち上げの席で偶然そんな話になって確認が取れたのです。縁とは不思議なものです。

福岡県の風景

福岡県では、母の実家に居候させてもらいました。住んでいた町名が有名な歌手の歌の題名と同じであったので、その曲を聴くたびに幼い頃のことを思い出します。その曲は、この地での記憶を蘇らせてくれる曲となりました。

考えてみたら、私がそこにいたのはもう50数年前の話。その頃は、隣りが養鶏場でした。朝早くに、鶏の声で目を覚ましたというのも貴重な体験です。また、家の前に畑があったので、祖母が白菜や大根を育てていたのを手伝った記憶があります。

畑の隅にびわの木、家屋のすぐ隣りに柿の木もありました。2階の窓から屋根に出て、柿を取る若々しい父親の姿をはっきりと覚えています。

福岡県の幼稚園

幼稚園は、家の前に見える高台を越えたところにあったので、直線距離だと100メートルほどでしたが、その高台が私有地であったので住宅街をぐるりとまわって通っていました。そのおかげで、近隣の家の風景や知っている大人の人がいて、わたしの幼い頃の記憶にいろどりを添えてくれています。

当時は、入り口が幼稚園らしくなく、木のトンネルをくぐって教室まで行きました。敷地の入り口の右手であったと思いますが、大きな風呂場があり、なぜか力士の人が入浴していたのを覚えています。

その風呂場をのぞきに来ているわたしたち園児に向かって、力士の方々はおけですくったお湯をまいてかまってくれました。あの力士たちはどういう経緯であそこにいたのでしょうか。この幼稚園の生活で思い出すのが、「スズメが地獄に連れていかれた事件」です。