春キャベツはバターで炒めて火を止めてから、醤油をサーっとかけると最高に美味しい一品となり、バター醬油の焦げた味と香りの記憶は鮮明だ。高校生の息子の弁当にもよく入れた。
美味しいものをたくさん送ってくれた義父母で、毎回段ボール箱が3~4個で野菜はもちろん手作りの奈良漬けやちまきや、そして義母からの手紙にはお小遣いも入っていた。親の愛情に頭が下がった。我が子にも同様にしてやらねばと思う。
焦げ目の話に戻るが、ほどよい焦げは旨い。火加減や焼き方で美味しくなるのはもちろんだが、味つけも含め作る過程が大切。食べさせる人のことを考えて作る思いやりや愛情が味に出る。
楽しんで作ったものは相手にちゃんと伝わる。調理や焦げは人にたとえると、失敗や経験の積み重ねが成長で味や「人となり」が出るというものだ。美味しく、焦がすのも腕のひとつ。旨くなるか?失敗するか?のタイミングや見極めができるようになると人として味が出てくるのだろう。
美味しい焦げとは、人にたとえるならば「いぶし銀」のようなものだろうか。見た目からも感じ取れ口に入れると「うーん旨い」と納得できる人物。憧れますなあ。数名の先輩の顔が浮かんだ。
生きもの係
2年前の春、我が家に生きものがやってきた。「メダカ」と「オカヤドカリ」だ。毎朝「メダカ」の水替えとエサやり。「オカヤドカリ」は人参のスライスを入れ替えて、翌日用の置き水(カルキ抜き)をする。忙しい朝がより忙しくなり真司にもお願いした。PC授業のために基本は在宅なので家族の役割分担にした。
オカヤドカリは愛嬌のある動きで興味があるのか嫌がりはしない。「助かるよ」と言葉を残し出勤する。職場の保育園の朝は、子どもが登園後に親との別れ際、離れがたく泣くことがよくある。そんな時に気持ちを切り替えられるように、生きものに興味を向けて「一緒に見よう」と誘うとピタリと泣き止む。
エサやりを一緒にすると、生きものの動きを目で追い興味津々の子どもは、触ってみたくなり泣きたい気持ちは消える。オモチャにはない本物の魅力があり、保育室ではたくさんの生きものを飼ってきた。