普及の工夫と苦悩 太田雄貴
「みんなと同じようにやっていたら選ばれないと思ったんです。英語がうまい、ヘタ、という以上に日本が足りないのは何が何でも五輪を招致するんだ、という熱量だと思っていたし、そもそも僕は人がやらない努力をしないと勝てない。
だから早い段階から丸暗記してスピーチをするようにしていたんですけど、結果的に僕がそういうスタイルを取っていたこともあって、僕たちの日本代表って、最終的にはみんなプロンプターも見ず、自分の言葉でスピーチをしたんです。自分が言うのもおかしいかもしれないけれど、あれは僕がつくった1つのカルチャーでもありました」
五輪の開催場所が決定する2013年9月のIOC総会に向け、目まぐるしく展開される交渉や駆け引き。世界へ向け「なぜ東京に五輪、パラリンピックを招致するのか」その理念や意義、熱意を伝えるスピーチが重要であることは言うまでもない。
高円宮久子妃殿下、当時の安倍晋三首相といった顔ぶれに加え、アスリートとして登壇するのはアテネ、北京、ロンドンパラリンピックに出場した佐藤(現・谷)真海と太田のみ。それぞれの見地から、どう訴え、伝えるか。
度重なる練習を繰り返し、英語の発音や身振り手振り、目線を置く位置を何度も何度も確認する。IOC総会前日の6日には、一連の流れを追ったリハーサルが行われたが、実はこの時の出来は最悪だった、と振り返る。
「安倍首相と高円宮妃殿下を除く6人が通しでリハーサルを行ったんですが、僕も含め、びっくりするぐらいよくなかった。身振りをする時にマイクに手が当たってしまったり、それまでほぼ完ぺきだった滝川クリステルさんでさえ珍しく間違えたり。
失敗ってこんなに連鎖するんだ、めちゃくちゃたくさん練習してきたのに、練習会場じゃなく本番の会場に入るだけでこんなに失敗するんだ、と。でも、今思えばそれもよかった。失敗を全部、そこに置いてくることができました」
時差ボケと格闘しながら、ほぼ眠ることなく翌朝を迎え、5時には起床。全メンバーが揃った状態で、それぞれのパートや次のスピーカーにリレーする際の握手に至るまで徹底的に確認を繰り返した。
もちろん自分が話せば終わり、ではなく、日本チーム全体が話し終わるまでプレゼンテーションは終わらず、最後に開催国名が発表されるまで一瞬たりとも気を抜けない。話し方だけでなく、聞き方や、待機する際の姿勢。直前まで、これまで味わったことがないほどの緊張感に見舞われた。