郊外学園の思い出
「虚弱児」ということで(本当はそんなことないと、自分では思っていたけれど)、五年生の夏休みに学校からの推薦で、大阪市が運営する淡路島の郊外学園でひと夏を過ごすことになった。私の学校からは私と加藤君の二人だけだ。
着替えなどの荷作りをしながら母は、「体を丈夫にしに行くんやから、嫌いなおかずも残したらあかんで。小魚の骨もいちいち出さんと、よくかんで食べてしまいなはれや」と私に言って聞かせた。
夏休みに入ると間もなく、大阪市内から集まった七十人余りの子供たちが、先生や保護者に付き添われて天保山桟橋に集合した。天保山から汽船(たしか女神丸といった)に乗って淡路島の仮屋沖まで行き、港のない仮屋の浜には小舟が迎えに来た。
学園のすぐ側はもう砂浜で、海の水がきれいなのにまずびっくりした。浅い海の底にある石やヒトデなどが手に取るように見えた。加藤君のお母さんに頼まれて加藤君も私と一緒に学園まで送り届けると、父はすぐ帰って行った。
起床、食事、その他の合図はドーン、ドーンという大きな太鼓の音だった。夏休み中だったけれど、学園の先生方や、お世話して下さるおじさんやおばさんたちとの規則正しい生活が始まった。
初めての食事の時、二尾ずつ小さめのアジの焼いたのが出た。女の先生が全員に食事が行き渡っているかを確かめながら、「アジの骨に気をつけて……」と注意をされた。私は母の言葉と重ね合わせて、「アジの骨は気をつけて、よくかんで食べなさい」と言われたと思った。そしてアジを丸ごと一生懸命にかんで食べた。わき見もせずひたすらかんだ。やっと食べ終わって横の子や前の子のお皿を見ると、魚の頭や骨が残っている。
私のお皿には何もない。「あれ!」と思った。次からはアジが出ても頭や骨までは食べなかった。小イワシを煮たおかずの時は、いつも器に山盛りだった。これはいちいち骨を取るわけにはいかなかった。
初めのうちは全部食べたけれど、度重なるうち山盛りのイワシを見るのも嫌になって、友だちと一緒に先生の目を盗んでは、こっそりとゴミ入れに捨てた。しばらくすると、「家(うち)へ帰りたい」と泣き出す子が続出した。