「魂をいただく代わりにその人間の望みを一つ叶えてやる。それが悪魔と人間の契約の基本だ」

私は頷いた。仔細はまちまちだが、そのイメージは間違いなくある。

「一番簡単な例を挙げよう。大金持ちになりたいと言われたら、目の前に大金を積んでやる」

「……そのお金、どこから出てくるの?」

「ん?」

「出所不明の大金を渡されても困るだけじゃない。それでしっぺ返しを食うのがフィクションのお約束」

物書きの性(さが)だろうか。そんなことが気になって仕方ない。

「契約の際に指定されたらその通りに用意するよ。どんな願いでも叶えてやるのが悪魔だからね」

「そんなこと言って、指定する余裕なんかないでしょう」

私も既に悪魔と契約しているらしいが、その内容を吟味した覚えはない。

「心外だな。君は明確に同意したし、願いを聞き出すために僕は延々と君の愚痴に付き合ってやったじゃないか」

「それは……」

「代償として魂をいただくわけだから、そこは丁寧にやってるよ。ただ、後のことは一切関知しない。さっきの例だと、手に入れた大金で幸福になるか不幸になるかは契約した人間次第だ」

しっぺ返しを受けたとて、悪魔のせいではないと主張したいらしい。

「でも、最後に魂は持っていくんでしょう?」

「契約者が死んだ時にね。人間の生死も悪魔のあずかり知らぬことだから、魂に印だけ付けておくんだ」

その指先がまた私の唇に触れる。彼と口づけを交わした際、確かにそんなことを言われた気がする。

「ところが君の願いは、悪魔の力をもってしても厄介だった。自分の人生を売り込みたいだなんて、小説家の発想は恐ろしいね」自称悪魔が真顔で告げる。

「でも、ベストセラーを出したい小説家や世界を感動させたい音楽家なんて、他にもたくさんいるでしょう?」

「そういうのは一発ちょいと当ててやればいい。次回作も売れるかどうかは契約の範囲外になる」

「私は違うと?」

「だって君は人生を売りたいんだろう? 君の人生は元彼と共に過ごした時間だけじゃない、現時点で約三十年分のネタがある。これから十年、二十年と生きていけば更に増えていく」

「……それって、これから私が書く小説を全部あなたが売ってくれるってこと?」

「実質そういうことになるね」彼はさらりと頷いた。

「君はなかなか面白い望みを口にしたよ。執筆は自分でするから、作品の売り込みだけ悪魔に頼りたいと」

こんなに都合のいい条件があるだろうか。今の話はすなわち、自分は書きたいものを書くだけで後は悪魔がなんとかしてくれるということだ。それが本当ならば、私は小説家としての矜持を保ったまま成功する契約を結んだことになる。

「おかげでこの三ヶ月、僕は君が小説を書き上げるのをひたすら待つことになったよ」

「それは……お待たせいたしました」

【前回の記事を読む】「君の人生、僕が売ってあげようか?」小説家の前に現れた悪魔は…