■『浮雲』に見る学校

二葉亭の経歴を見た後は、彼の主要な小説三作品を検討しましょう。まず、『浮雲』です。先に述べたように、近代日本文学の最初の小説と言える作品です。

明治二〇年(一八八七年)から二二年にかけて発表されました。外国語学校で学んだロシア文学や、外国語学校を退学(明治一九年)した直後に知り合った坪内逍遙の影響が指摘される作品ですが、そうした側面は他の文献に委ねるとして、ここではこの小説で学校や学歴がどう記述されているかを見ていきましょう。

この作品の筋書きは、静岡県出身で東京の叔父宅に寄宿しながら役所勤めをしていた内海文三が、上司から睨まれてクビになってしまい、おまけにそれまで仲がよく婚約者同然と見られていた叔父の娘(つまり文三の従妹)お勢を、同じ役所勤めながら要領のいい本田昇に奪われてしまいそうになる、というものです。完結していないので最後がどうなるのかは分かりません。

この作品では文三が受けた教育はどう叙述されているでしょうか。文三の父は幕府に仕える武士だったものの明治維新で故郷の静岡に帰りその日暮らしをしています。

しかし一人息子の文三には期待をかけて学校や私塾に通わせていました。

さいわい文三は勉強が嫌いではなく、学校を一四歳で卒業しますが(ここでの年齢表示は数え年で、現在使われる満年齢より一、二歳多くなります。以下も同じ)、その直後に父は病没してしまいます。

文三は母を故郷に残して東京の叔父宅に引き取られます。明治一一年、一五歳のときでした。文三は叔父宅から当初は私塾に通っていたのですが、某学校で給費生を募集していると聞いて、試験を受けて合格します。

そこでも真面目に勉学に励み、無事に卒業。すぐには就職先も見つからなかったものの、或る人の周旋で「某省の准判任御用係」となります。判任というのは公務員の身分を示す言葉。勅任官や奏任官なら高級公務員なのですが、判任官だと下のほうに位置します。

おまけにここでは「准」とついていますから、最下層といったところでしょう。しかし明治期には役所勤めは高級な職業と見られたので、「准判任」でもそれなりだったとも言えるでしょう。