三 バザー・ナーダ(聖書の木を売る店など)

白髪、白い長い髭を垂らして、端然と座った老人は、手元にあった和綴じの本を取り上げ、開き、おもむろに読み始めたのであった。その背には「続千一夜物語」と書かれてあった。

老人の背後には、大小さまざまないろんな樽が並んでいて、その正面の下部には蛇口のごときものが据え付けられてあった。その上に、白い金属製のプレートが横にはめ込まれ、群青色の文字をもっていろんな言葉が書かれてあった。

一つの樽には「クレオパトラの夢」とあり、もう一つの樽には「楊貴妃の夢」とあり、さらには「ナポレオンの夢」や「ヒットラーの夢」、「ハムレットの夢」、「ドン・キホーテの夢」、「ネアンデルタールの夢」、「ETの夢」、「エイリアンの夢」、「ボノボの夢」、「ある死刑囚の夢」とあった。

実に不思議なもので、その言葉と樽の存在とがぼくには結びつかず、見当もつかなかったので、「あのう」と老人に話し掛けようとすると、すかさず老人は顔を上げて「そうだの、分からんでも不思議はないの。では、説明して聞かせよう。

たとえばじゃな。この樽、この中には「楊貴妃の夢」が詰まっておる。楊貴妃がその一生で見たありとあらゆる夢が詰まっておるのじゃな。でな、蛇口からこのゴム風船を差し込み、蛇口をひねる。するとな。そこからわずか一煙り、楊貴妃の夢の煙りが落ちるという仕掛けになっとるのじゃ。

でな、それを、つまり、ゴム風船を口に当てて、中のものを吸い込む。と、な、楊貴妃のいつの時の夢であるかは分からないがの、それは飲んだ人しか分からんものじゃ。だがの、それを飲むや、もちろん、すぐに眠くなってその夢を見るということはないがの。いく日かして、自分は楊貴妃となって、その夢を見るということが起こるのじゃ。煙りであるからして、一種の気体、かすかな煙り状の気体じゃの。それが出て来る仕掛けになっておる。

わしの周囲に、天井にまで上がって浮いておる無数のゴム風船はすべて、生一本の樽の中から一煙り取り出し、膨らませた上で、即売用に作っておいたものじゃ。どうじゃの、お若いの。一つ試してみてはいかがかの。どれでもよい、欲しいものを言いなされ。もちろん、これを服用したからといって、たとえば、楊貴妃になってしまうということじゃないから心配せんでもいい」

ぼくは人の夢などには全然興味などなかったし、目の前のことが夢以上に珍しく、興味深いものだったから、老人の勧めるままにどれか一つの夢を買い求めるなどということは意識になかった。

たしかに、老人の座った周囲の空間には、天井に届くまで何十個何百個もの大小さまざまなゴム風船が浮いていて、一個一個糸が結わえられており、すべての糸はそれぞれいくつかに金輪をもって纏められて、老人の近くの空間に下がっているのであった。