映画『沙羅の花の峠』山村聰監督 日活 1955年

若者達が開く明るい未来への展望

時代背景は戦後十年、新たな時代へ向かっての若者達の成長と、旧習との闘い、そして無医村という社会問題に対する問題提起をした物語である。

映画の冒頭は湘南の、とある田舎町で若者四人、また別のグループとして、田舎の村の人達四〜五人が逢うところから始まる。行く先は検察局萱野分室というところである。

場面は変わって、病院のインターン生である俊子(南田洋子)を含む若者六名が山深いところにキャンプに来た。若者の若々しい姿、歌声、そして踊りまわる生き生きとした姿は、現在の若者の感情の表現とはまた違う当時の若者の感情の発露として爽やかさを感じさせる場面である。

若者グループは峠で沙羅(しゃら)の木を見つける。沙羅の木は満開であった。若者達はその峠を「沙羅の花の峠」と名付けた。若者の一人は峠からふもとの村を見た時、異常に気付く。神輿の練習をしていた子供の一人が倒れているのだ。若者達は急いで峠を降り、村に向かった。

子供は「お腹が痛い」と呻いており、インターン生であった俊子が見ると急性盲腸炎であることが想定された。村には医者が居ないため、若者三人と、子供の叔父が他の村へ探しにいくことになった。唯一見つけた医者は酔っ払っていたが、ほかに治療できるものもいない事からその医者をリヤカーに乗せて連れて行くのである。

一方、子供の容態はさらに悪くなり、戸板にのせて医者のいるところまで運ぶことになった。酔っ払いの医者を乗せたリヤカーと病気の子供を乗せた戸板は沙羅の花の咲く峠で無事落ち合い、そこで手術が始まった。俊子ら若者達の協力もあり酔っ払いの医者の手術は無事成功した。

書いてしまえば大したことはないが、実は、子供を運び出すこと、手術をすること、それに至るまでには村の古い慣習と俊子ら若者達との感覚の差が非常に大きかった。かたや昔からの言い伝え、迷信、呪術の世界、かたや現代医学と合理的考えの葛藤がそこにあったのである。

手術成功の祝宴の半ばで若者達はキャンプへと帰っていき、その日の事件や、俊子が将来医師になることについての思いなどがそこで話されるのである。この場面がこの映画の一つの核心と言える。