そうは言っても、酒も遊びも一切やめたというわけではなかった。さすがにこれだけ毎日一生懸命に働いていれば、息抜きだってしたくなる。職場で同い年だった麻生くんと意気投合し、仕事が終わるとよく飲みに出かけた。
最初の頃は昼間の勤務であったため、夕方の五時に仕事が終わると誘い合わせて、二人で街に繰り出して、ホルモン道場で喉の渇きとお腹を満たし、それからスナックを二軒、三軒とはしごするのがお決まりのコースだった。
こうして夜の街に出ていると、会社で一生懸命に働こうという思いはもちろんあるのだが、浮気心も出てくるものだ。二年ほど仕事一途にがんばってきたが、朝八時から夕方五時までの勤務時間だったので、夜の時間がたっぷりあるのなら、ちょっとアルバイトでもしてみようという気になった。
以前から憧れていたバーテンダーをやってみたいと、行きつけのスナックのママに頼んでみると、「いいわよ」と軽く引き受けてくれた。
仕事が終わると作業着を脱いで、スーツに着替え蝶ネクタイを締めて店に立つ。神戸の街で毎日飲み歩いていた頃、カクテルが大好物だったから、知識も豊富だ。
見よう見まねでシェイカーを振り、客の注文に素早く対応する。我ながらなかなか絵になっているではないかと、まんざらでもなかった。
日本は高度成長期の真っ只中だった。好景気に沸き、毎晩多くのサラリーマンたちが夜の街に繰り出してくる。夜も八時を過ぎると店はいつも満席状態で、注文も途絶えることがない。
ママは満面の笑みであるが、私は次第に疲れてくる。客の中には「一緒に飲め」と勧めてくれる者もいたから、ついつい酒も入る。店が閉まる深夜十二時までカウンターに立っていると、もうヘトヘトである。翌日は朝の八時から仕事であるから、次第に疲労が蓄積していった。
本業は当然、川鉄での仕事だ。興味の赴くままにバーテンダーをやってみたものの、思いは十分に遂げることができたので、結局四か月ほど働いて辞めた。
こんな生活をしていたのなら、神戸時代とあまり変わってないと思われるかもしれない。いやいや夜遊びはしていても、きちんと仕事を中心に考えて、空いた時間に息抜きをする。以前はそれが反対だったのだから、私なりには真面目になったということだ。