千葉工場での日々

上京が転機に

川崎製鉄に入って六年目、二十五歳のときである。会社の中で大きな改革があり、葺合工場で働く社員たちの多くが、千葉工場へと異動することとなったのだ。悪友の広瀬くんや有江くんと共に、私にも千葉工場への転勤が命ぜられた。

振り返ればこのときが、私のそれまでの生き方を変える大きな転機となったのかもしれない。転勤となれば、三年間付き合った彼女とは離れ離れである。まだ東海道新幹線も開通していない時代、千葉と神戸はあまりにも遠かった。

このまま遠距離恋愛を続けるか、結婚するか、別れるか。三つの選択肢があった。彼女も私も若かった。私は結婚を決意することができなかった。結局、別れを選ぶしかなかった。最後の日の彼女の涙が忘れられない。

私たち川鉄社員は、民族大移動のごとく千葉へと向かった。多くの社員が一気に神戸から千葉へと引っ越すため、会社は列車二両を貸し切りにしたほどだ。そうは言っても、私たち独身の社員はこれまでも寮生活であったし、千葉へ行ってもまた寮のお世話になる。身の回りの荷物をまとめて持ち出せばよいだけなので、身軽なものであった。

ところで、この神戸から千葉への列車での約五百キロの移動の間に、私の心も大きく変わることとなる。そのきっかけとなったのは、葺合工場の人事課長だった。

責任者として一緒の列車に乗り込んでいた課長が、わざわざ私の横の席に座った。そしてこれまでの私の勤務態度について、語り出したのだ。

「社員として働いているのだから、欠勤はいけない」

「仮病を使って休んではいけない」

「徹夜で遊んで、ぼうっと半分寝ているような状態で仕事をしてはいけない」

どれも真実で、耳の痛くなる話ばかりである。そして最後にこう言った。

「キミはまだ若い。これからどうやって生きていくのか、しっかりと考えているのか。このままで良いはずはないだろう。自分の将来をきちんと考えて、しっかりと働くことを覚えなさい」

私は課長の言葉に心を打たれた。確かに友だちと遊び歩くのは楽しかった。だがその一方で、このままでいいのだろうか、という不安を心の片隅にいつも抱えていた。

大きな会社だからこそ、ちょっと不良な工員でも、大目に見てもらえたのだろう。しかしそれで自分は良いのかと、改めて自覚させられたのである。