カラスのクロ
大学会館
夕方になって、一郎が、
「コンパの学生さんがゲロを吐いたらしくて、廊下が臭いよ」と母の春子さんに言いました。純二も、
「トイレの洗面台も臭かったよ。黒帯の学生さんがいたから柔道部だよ、きっと」
と口を挟みました。体育館で練習をいつも見ていたので、リーダー格の学生さんの顔を覚えていたのです。春子さんは、
「またですか。ちょっと掃除をしときましょうか」
と言ってバケツと雑巾を持って1階の広間に向かいました。コンパが夜のときは、遅くまで大きな歌声が2階まで響いてきました。
大学会館に隣接して、事務職員用の長屋が造られて、4家族が暮らしていました。また、別棟には〝総長車〟と呼んでいました箱型のイギリス製の高級車の車庫があり、車庫の中を改造して、運転手さん一家が住んでいました。後に車庫が増設されて、アメリカ製の大型高級車が2台置かれていました。どの車も黒でしたので、ほこりや汚れが目立ちやすいのですが、運転手さんは暇があれば洗車して、しばしば羽ぼうきでほこりを払っていつもピカピカです。
食料もままならない時代に庶民の生活とはかけ離れた高級車ばかりでしたので、戦後の国立大学は、体面を保つために外国製の高級車を用意していたのです。
家族の一員になったクロ
カラスが山田家を訪れて最初の日曜日、父の和夫さんはテニスコートの向こう側にある宅住を回って聞いてきました。
「何軒もの家を回ってきた。誰に聞いてもカラスを飼っている人は聞いたことがないという返事だったよ」
母の春子さんは、
「やはりね。うちでお世話するしかないですね」
と言って世話をすることに決めたようです。和夫さんも、
「カラスを飼うことになると、子どもたちにとっても滅多にできない経験になると思うよ」と言うと、
「まさか、カラスを飼うなんて想像したこともなかったですよ」
と春子さんもうなずきました。
しかし、突然の来訪者に、子どもたちは誰もが大騒ぎでした。生き物を飼ったことといえば、金魚すくいで買った金魚と、大学キャンパスの森で捕まえたカブトムシとクワガタムシです。これら以外の動物を飼ったことがなかったので、全て初めての経験だったのです。
それから、毎日毎日、カラスのクロは山田さんの家をねぐらにして生活することになったのです。