もし日本に同じ制度があれば原告の規模も賠償額もケタ違いになっていたはず

ここで大胆な仮説を立ててみましょう。もし、日本に米国のような「懲罰的損害賠償」、「クラスアクション」、「証拠開示手続き」、「無過失責任」(製品の欠陥を追求する製造物責任に関し、日本では原告が製品の欠陥、事故との因果関係に加え被告企業の故意または過失を証明しなければ救済は与えられないが、米国では被告の故意または過失は救済の要件とはならない)などの制度があれば、訴訟はどのように展開していたでしょうか。

原告団の規模も、求める損害賠償額も、実際に勝ち取る額も、桁違いに多くなっていたでしょう。

まず、被害者たちは原発を運営していた東京電力(以下、東電)と同時に、原発を製造したゼネラル・エレクトリック社(以下、GE)を相手取って、次々と損害賠償を求める「クラスアクション」を起こしていたでしょう。

そしてその数は現実よりも桁違いに多くなっていたに違いありません。GEに対する訴訟の日本での管轄権も認められ、訴訟の多くは、同社が作り設置した原発に欠陥があったという「製造物責任(PL)」を追及する裁判になるはずです。「無過失責任」であれば、原告は製造物に欠陥があったことを証明すれば足り、その過失を証明する必要はありません。

また、「クラスアクション」では一人で同じ境遇にある被害者全員を代表して訴訟を起こすことができ、被害者一人一人を説得して原告団を組成する必要はありません。訴訟は格段に起こしやすくなり、同じ被害に遭った全員が「クラス」として原告に加わるため、請求金額の総額も高額になることは間違いありません。

現実に裁判が始まれば、「証拠開示手続き」が威力を発揮するでしょう。多くの情報を集めれば集めるほど、被告の責任を問える証拠が見つかる可能性は高くなります。

利益を得るために一般市民の生命を天秤にかけるような「悪質な行為」が見つかれば、東電、GEは「懲罰的損害賠償」を課せられることにもなります。その額は陪審評決により計り知れないほど高額になるはずです。