Ⅰ レッドの章

依頼人

「君が駅にいた時に誰か君を見かけた人物はいなかったのか?」

「警察はいないと言っている。あの夜は夕方から急に寒くなって雪混じりの雨も降り出し、皆厚いオーバーを着て帽子を被り体をすくめていたから、誰がどこにいたなんて詮索する余裕はなかったかも知れない。少なくとも僕は知り合いとは出くわさなかったし、もしそうだったとしてもその時は気が動転していたから知らん振りをせざるを得なかっただろう」

しかし掛川は首をかしげた。いかに初冬の寒くて暗い夜とはいえ鶴前市は人口十万の町だ。それに神林家は町では知られた有力者だった。一人くらい正次を見掛けた人物がいてもよさそうなものだ。逆に火事の現場に取って返した正次を見た者は少なからずいた。何とも皮肉な話である。

「警察は何と言っている?」

「僕が火事の前に家に着いた時には親父はもう死んでいた、と言っても信じない。警察が言うには親父はあの夜、人と会ってから八時半ころ家に戻った。そこで僕と会い、話し合ううちに親子喧嘩になり、僕が親父を殴って気絶させるか、或いは殺して、その事実を隠す為に放火したと言うんだ。親父を殺して、そのあとガソリンを二十リットル缶で運んで家にばらまき、火をつけることが出来たのは親父の車を運転出来た僕だけだとね。家の自家用車は家の前に止めてあったが火事に巻き込まれて一緒に焼けてしまった。焼けた家の周りにはその車のタイヤ跡があった。あの夜は寒くて雨から雪になって道はぬかるんでいた。でも警察は事件の夜に確かめたわけじゃない。暗くて道も悪くて、夜に検証するのは無理だった。結局現場検証は翌朝になった。他にもタイヤの跡は複数あったが警察は親父の車のタイヤ跡だけを問題にしている。それに……」

と彼は付け加えて

「一つ妙なことがあるんだ。火事の翌朝の現場検証で警察は、親父のものと見られる焼死体は二階部分の焼け跡ではなく、一階の玄関近くで発見されたと言うんだ。でも僕が親父が倒れているのを見たのは二階の居間だった」

「誰かがお父さんの死体を動かしたということか?」

正次は首を振った。「分からない」