二 なぜ、「不適切なかかわり」はなくならないのか
前章では、教員の〝信念〟と〝不安〟について述べた。この章では、その中身についてもう少し詳しく考え、暴言などの「不適切なかかわり」がなくならない原因についてもう少し掘り下げてみることにする。
昔から、教員はとかく世間知らずになりやすいと言われてきた。小中学校時代は成績優秀で先生に叱られることもそれほどなく、進学校から大学へ進み、そのまま採用されて再び学校に戻ってくる。
本採用になるまでの間も、臨時講師などで学校に勤務することが多いから、結局学校しか社会を知らない。多くの教員がそうやって教壇に立つ。
かつては、先輩教師の中に「世間知らずにならないために、学校以外の人とできるだけつながりを持て」とアドバイスをくれたり、学校とは無縁の世界で生きている人を紹介してくれたりもした。
私の場合、幸か不幸か、荒れた学校からスタートしたので、必然的にさまざまな世界で生きる保護者と関わらざるを得なかった。そこから世間を垣間見ることができた。
〝任侠〟の世界に生きる人も少なからずいた。そういう人は、怒らせると厄介だったが、筋さえ通せばいくらでも力を貸してくれた。学校に不当なクレームを言ってくる保護者を私たちが知らないところで諭し(脅し?)てくれ、突然トラブルが解決してしまうこともあった。古き良き時代だったのかもしれない。
問題は、その頃の感覚をいまも持ち続けて「あの頃は大変だった」とか「いまはそれに比べれば楽なものだ」と若い教員に自分の武勇伝を誇らしげに語る教員たちである。
そういう教員は、概して自分の限られた経験で得た指導方法が、いつまでも通用すると思っている。むしろ、そうあるべきだという思いを持っている。これが「不適切な」教員の核となっている。