放課後、茶道室前の廊下を緊張した面持ちで歩く山川の姿があった。生真面目な山川にとって女子に声をかける、しかも話したこともない女子に頼み事をするなど、緊張する以外の何物でもないのだ。

山川は大きく息を吸い込むと、茶道室の戸をノックした。

パタパタと足音がして、中から戸が開けられた。

高島が顔を出した。山川を見て言った。

「確か、酪農科二年の山川君だったっけ。何か用?」

「かっ、活動中にすいません。中渡さんはここにいますか?」

耳を真っ赤にしながら、山川は高島に尋ねた。

高島は、ああ千尋ね、ちょっと待ってて、と言いながら、茶道室の中にいる千尋に声をかけた。

「千尋ー。お客さんみたいだよー。男子のね」

お点前の稽古をしていた千尋は、山川の姿を見るなり、エッとした表情で顔を赤らめ、お茶碗を落としそうになった。あの山川が自分を訪ねてきたのである。

それでも千尋は、お茶碗をスッと置き、武道家のようにすっくと立ちあがると山川の方に歩んでゆき、山川と向き合った。

「私が生活科二年の中渡千尋です。何か、用ですか?」

気丈にふるまっているが、うれしさと緊張で顔は真っ赤だ。

場の雰囲気を察して高島は、お点前の稽古に戻った。少しニヤッとしている。

「えっ、えーと、ちょっと相談したいことがあって」

山川は山川で、女子としゃべるのに必死である。

「廊下に出ましょう。今、お点前の稽古をしているし」

千尋にうながされて、千尋と山川は廊下で向き合った。

「相談って何でしょう?」

千尋が尋ねる。

「実は、先ほどの中渡さんの発言が気になっていて……」

山川が言葉を選びながら、話していく。

「草地更新もしないで牛が飼えるっていうのが、すごく印象に残ったんです」

「俺らは、草地更新をしなければならないって、そう教えられてきたし、そう思っていました。でもそうじゃないやり方も、日本でもあるんだって、それもうちの学校の生徒の中であるんだっていうことが、とても新鮮で驚きでした」

山川は、思い切ったことを口にした。

「そこで、もしよければ、中渡農場を見せてもらえませんか?」

山川の言葉に一瞬戸惑った千尋だったが、すぐに決断した。

「いいです。いつ来ますか?」

「できれば今週末にでも」と山川。

「分かりました。父と母に相談します」

千尋のこの言葉に対して、緊張気味に「ありがとう」と山川は礼を言い、他の男子に見られていないか気にしながら足早に茶道室前をあとにした。

山川は早速、三階の酪農実習室に向かった。そこには農業クラブの会合で内燃がいるはずだった。内燃に廊下に出てきてもらうと、中渡牧場に見学に行くことを告げた。

「そりゃ、思い切った決断をしたな。あの騒ぎを収めた子の農場を見に行くとはなぁ」

「でも面白いかもな。何しろ農場の中にサケが遡上するんだろ。しかもシマフクロウがいるときた。水産科の連中にも声をかけてみるか」

そう言うや否や、内燃は同じく三階の水産実習室に行こう、と、山川に声をかけ、歩みだした。

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