四人部屋にナースコールが一つだけ。患者は誰ひとり歩行できない。
部屋に入るには、用意された薄ブルーの上着を身につけ、マスクとゴム手袋をつける。
看護師は時間にならないと見回らない。この場所は何なのだ。
毎日通って、父といられるだけ時を過ごした。たまにヘルパーが来るだけで誰も来ない。
他の患者さんの身内に会うこともほとんどなかった。
自分は父をとうとう昔で言うところの姥捨山に連れてきてしまった。
父が苦しんだ日、明日も来るからと話をして帰宅した。
翌朝、顔を見にいったところ、父は寝ていた。そう思ったが息をしていなかった。
慌てて、看護師を呼び、医師が来て今さらながらの心臓マッサージ。
皮膚はまだ温かいのに父は死人になっていた。
向かいのベッドの老人が「さっきまであなたのお父さんが『看護婦さん看護婦さん』と叫んでいたのに、声がしなくなってしまった」と言った。
「私もそうなるのかな」と哀しげに老人がつぶやいた。「大丈夫ですよ」と自分は言ってしまった。
数年後、他病院で母も同じような扱いをされていた。
行かなければ、ヘルパーにぶたれてしまう。「うんこ姫」というあだ名がついていた。
現に見張りのいない隣の老生人は、「あなたのことだけ見てるわけじゃないんだから」と、バシバシ叩かれていた。その数日後、隣の老生人は個室に移され死人となった。息子さんが、ガックリと肩を落としていた。
どこの病院も、介護施設も同じようなものだった。
どこもかしこも、多くは無情という魂が入った着ぐるみを着た生人だった。
しかし、安い賃金で食事の介助をし汚物処理をさせられるなら、無情でなければそうそう続けられる仕事ではないとは思う。
こんなことをされるくらいなら母を引き取ろうと思った。全く休む暇はなかった。
全盲になってしまったのに、ひとりで勝手に外へ出ていってしまう母。歩けるということはありがたいほど泣けて、素晴らしい。いつも一緒にいてもらいたい寂しがり屋な母の要望はキツかった。
長きにわたる自宅介護は殺意が芽生える場所でもある。