教育

これは、個生人の勝手な理想論にすぎないが、結婚もしかり。

恋愛で結婚するか、お見合いか、ネットで知り合うのか、同性婚か、どう結婚しても良いが、最終的に自分でこの人、と選んだ人同士が結婚をした方がいい。結婚のような人生最大な節目の出来事を、人のせいにしたりしないよう。自分に責任を持つ結婚。誰かのせいにしたところで、結果は何も変わらない。

同じ景色を見ても、同じ物を見ても、同じ感情を抱くなんてあり得ない。それでいいと覚悟して、異生人と結婚する。違う生人なのだから意見が違って当然。夫婦なら、それぞれが違うのだと認め合う。お互いの良いところを見つめる。相手を尊重する。

相手を決して罵倒しない。自分の感情だけで相手を脅すな。暴言暴力はもってのほか、犯罪である。人を打ちのめす権利は誰にもない。優しく、人を愛することのできる生人同士の結婚が望ましい。

妻は、夫のものでもなければ、夫は妻のものでもない。個の生人として受け入れる気持ちを持つこと。それができない二人は結婚すべきでないと思う。威張って何もしない男生人にかしずく女生人もいれば、女生人のヒステリックな言動に我慢を続け、最後にはさじを投げ、逃げる男生人もいるだろう。どうにもすり合わせができないのならば、捨てたり、捨てられたりすれば大人同士はそれでいい。

しかし、振り回された子供はあまりにも気の毒である。生人が生人を産み育てるのは、相当な覚悟がいるものだ。親である生人は、責任という覚悟を持って産み育ててもらいたい。子は授かりもの、そして預かりもの。どんなに望んでも、授かれるものでもない、大切な大切な存在だ。

大人の生人として未来に送り出す大切な人たちである。親の所有物ではない。ひとりの人格を持った大切な生人なのだ。皆がそれぞれの心を持っていて、それがざわめき立って喧嘩にもなる。

しかし、怒ってみたところで、それは押し付けであろう。怒りも意見も押し付けなのだ。家族の風景は、生人のほほ笑みやその表情と言い方と音色なのだ。  

両親が子の前でいつも言い争っていれば、子の心は安定しないだろう。本気で愛し、愛を持って叱り、愛ある生人に育てたい。子の生人の反抗期には、全力の愛で戦ってほしい。子は、親に認められて大人になってゆけるものである。安全を与え、保護し、いつでも抱きしめてやってほしい。

母は自分が産みたくて産んだのだ。不幸にするなら産むな。産みたくないなら産むな。子はいると嬉しい、楽しい。そして、いても苦しい、悩ましい。しかし子に対し、無反応、無関心、見捨てるような真似だけは絶対にしないでほしい。否定ばかりされたならば、子自身が持つ存在価値はうすれ失われ消えてゆくものだ。