歳三の穴籠り
おもしろき夜着の列びや今朝の雪 豊玉
梅の花一輪咲きても梅は梅 豊玉
俳句の作者は幕末、新撰組鬼の副長として怖れられた土方歳三である。
歳三の祖父は三日月亭石巴、長兄も関山亭巴石、義兄の佐藤彦五郎も春日庵盛車の俳号を持つ趣味人で、俳句は彼にとって身近なものであったようだ。歳三自身も豊玉という俳号で句を詠んでいた。
日野宿石田村、現在の日野市にある生家を子孫が受け継ぎ、土方歳三資料館として公開しているが、ここに彼の直筆の豊玉発句集が展示されている。その文字は流れるような達筆で、これが剣の道に生きた非情なラストサムライの文字かと違和感を覚えさせる。
掲載の写真はその発句集をコピーして資料館が作り記念品として置いているブックカバーである。
彼を題材にした小説『燃えよ剣』作者司馬遼太郎は、彼の句は決して上手くないと述べているが、小説の中で沖田総司に歳三が豊玉先生とからかわれる場面を書いている。
歳三は度々部屋にひきこもる癖があり「副長の穴籠もり」と言われ、戦略か粛清を一人思案しているのではと隊士たちに恐れられていたが、実はひっそり俳句を詠んでいたという逸話も伝わる。
殺戮粛清といった新撰組副長のイメージとかけ離れた人間歳三の一面が見える気がする。土方歳三は旧幕府軍として函館五稜郭での最後の戦いに向かったが、その函館で俳諧師狐山堂無外宅の句会に参加もしている。
動かねば闇にへだつや花と水 豊玉
銃撃戦で最期を迎えた際、辞世の句を部下が見つけている。
たたかれて音の響きし薺(なずな)かな 豊玉
私の住む多摩地域は歳三の他、近藤勇、井上源三郎など多くの隊士を輩出、新撰組に縁の深い土地柄である。毎年開かれる日野市の新撰組まつりには、毎年全国から数百人の熱心な新撰組ファンが集まり、お馴染みの浅葱色だんだら模様の羽織姿で日野市役所前の通りを行進する。実は我が家も数年前愛犬に犬用の新撰組ユニホームを着せこの行事に参加したこともあるのだ。
今回、日野市観光協会が「土方歳三の宝さがし」というイベントを企画した。新撰組歴史館、歳三他、近藤勇、沖田総司など新撰組隊士が剣の腕を磨いた道場のある日野本陣道場跡、土方歳三の墓所のある石田寺、高幡不動尊など土方歳三に所縁のある数カ所を巡り、そこに隠されたヒントを頼りに謎を解き解答を探すという趣向であった。
一日歩き回って手にした答えは「左山巴紋」土方家の紋であった。三巴は神社や神域にもよく使われ災いをとり除く、バランス・オブ・パワーの意味を持つという。
新撰組や土方歳三についての歴史の評価は様々だが、激動の時代に信念も故郷愛も詩心も持ち続けた土方歳三の生き方も、一つのバランスを持ったものだったと言えるかも知れない。
二〇一七年 五月