1962年に医師免許を取得し、翌年、バーミンガム大学の社会医学のリサーチフェローとなり、「出生前の影響と知能低下」で学位をとり、これがのちの「バーカー仮説」研究の契機になったと思われます。
1969年、大学から研究費を得て、家族(妻、四人の子ども)とともにアフリカのウガンダへ渡り、マイコバクテリウム(Mycobacterium ulcerans)の感染による難治性皮膚潰瘍(Buruli ulcer) の研究に従事しました。
従来、この病気は蚊の媒介によるものと考えられていましたが、バーカーはナイル川に群生するアシ(razer sharp reeds)の切り傷から感染することを解明しました。バーカーは、詳細な病気の調査や人々の生活パターンなど、辛抱強く聞き取り調査をして、疾患の流行地の地図を作成するマッピングという手法を学びました。
このように、問題点を見つけたら、綿密なフィールドワークとマッピングで確認するという研究スタイルをアフリカ滞在中に確立しました。
1971年、サウザンプトン大学に医学部が新設され、翌年、バーカーは医学部のスタッフとなります。ここで疫学者として、また臨床医として研究を続け、1979年、臨床疫学教授に就任します。さらに 1984年、同大学医学研究者会議疫学部門(Medical Research Council Environmental Epidemiology Unit, MRC)のディレクターに就任し、今日のイギリスのDOHaD研究の拠点を作りました。
バーカー仮説発表後、彼の研究は医学界では懐疑的でしたが、次第に注目されるようになり、フィンランド、インドの研究者との共同研究に発展します。さらに、学際的な研究として、胎児生理学者、動物学者、胎盤学者、栄養学者らとの共同研究へ発展し、彼の学説は、揺るぎない評価を確立します。彼は、生涯で500以上の研究論文、10 の単行本を著しています。"
2│バーカー仮説(成人病胎児期起源説│Fetal Origins of Adult Disease, FOAD)
1980 年代に、バーカーはアチソン(Acheson)らとともに、イングランドとウェールズのがん死亡率の頻度を地域別に表す地図を作成する疫学研究(マッピング法)を始めました。バーカーはこの方法を、当時、死亡原因の筆頭であった虚血性心疾患に応用しようと考えました。
従来、心筋梗塞、糖尿病、高血圧などの慢性疾患は、遺伝と不適切な生活習慣に原因があると考えられていました。バーカーは、イングランドの西北部などの貧しい地域は、心筋梗塞による死亡率が高いことに注目しました。ある時、この地域は1921~25年の記録によると、新生児乳児死亡率が高く、出生体重が小さいことに気づきました。
(注1)Cooper C. David Barker Obituary: Epidemiologist who proposed the idea that common chronic diseases result from poor nutrition in the womb. The Guardian, 2013. 9. 11
(注2)Barker M, et al. David James Purslove Barker. 29 June 1938-27 August 2013. Biological Memoirs of Fellows of the Royal Society. 2019; 67:29-57 https://doi.org/10.1098/rsbm.2019. 0021
(注3)Barker DJP, et al. Effect of testosterone on oestrogen-induced bone formation in mice. Nature 1962; 194: 1088-1089