【前回の記事を読む】もらい物のメロン。仏壇に供えてからお経をあげ、その後に頂く。と、誰もが思っていた…
じいじになった私
趣味で狂人化
たまたまその頃に妻がテニスを始めたため私も始めたのが大きなキッカケとなって、その後はテニス漬けの土日になり、しかもテニススクールを二か所も梯子する状態にまで熱狂しだした。
このことで、立派に狂人化してしまい、今思い返すとラケットからウエアから靴まで一通り揃えると、そこからテニス雑誌も何冊も買うようになり、その効果があったのかは未だに不明である。
さらにビデオでサーブのフォームまで撮り、その結果をチェックしながら極めて自己流の研究に打ち込んでいた。ここまでのめり込むとは、全く予想だにしない展開になり、もはやテニス依存症ともいえるドハマリ状態になってしまった。
今思うとラケットも何本買ったか分からない。ウエアも同様で、スクールまでも入れると、多大な金額を何年もつぎ込んでいた。あまり夢中になり過ぎたことで、土日に雨でも降るともう大変なことになり、多少の雨でもヌレヌレで壁打ちをしてしまう。テニスエルボーも無視状態のさらなる修正の利かない熱狂状態で、もはや誰も手を付けられない。
スクールでも夏のカンカン照りのコートに触ると火傷するぐらいの暑さの中で、コーチに右に左にボールを出され振りまくられた。しかし、それでも疲れるようなことは全くなかった。
スクールの二か所が終わっても、その後は壁打ちに出かける。そこでも暑く、一時は水四リットルを飲み干したこともある。素人が自己満足なことを盲目的にひたすら続ける全くブレーキの効かなくなった暴走体制になってしまった。
当時は真っすぐに向き合っていて、趣味の意味などを考えることは全くなかった。ただ何年も続けるうちに、ふと頭をよぎるものがあった。それは、どのような趣味でも車の両輪の如く、人生には仕事にプラスして必携のものではないかと考えるようになった。
さらに言えば、仕事のことが頭から離れない時などの立派な熔融剤となり得るもので、趣味に興じる時間だけでも仕事のこと(進捗度・同僚や部下との関係・業務遂行上の精神的ストレス等)を全て忘れることができる。
この忘れることがとても重要であり、一旦はリセットして、それから再スタートする。抱え込むストレスが全て悪なものではないがリセットと再スタートが切り替えられたことは、自分にとって非常に大きかった。「汗で忘却の彼方に」ということに。
ただ、ストレスの内容によっては、忘れたいのに忘れられないものもある。この辛く引きずっていた心の澱のようなものも、不思議と大汗をかいた後には、それまで抱え込んでいたものも、形が変容し和らいでいることが多かった。この感覚にも大いに救われた。
今では古希を迎え、あの暴走気味の狂人化した頃のエネルギーを、できるものならば、取っておけばよかったと、もったいない気分とともに悔いながらも、若き日の良き思い出となり、心身の逞しい財産となっている。