♪音楽♪って何?

自分の生まれる前と後の、母の声などを通して聴こえていた賑やかな音は、それは後の音楽としてのものだったようである。自分の耳と体で捉えられていたその音楽は、古希を迎えた自分の体幹に残響音として、しっかりと残っていた。

古希の今時分になって、自分の音楽観は、いつ頃どのように生まれ、その後にどのような変遷を経て、出来上がってきたのか。以前から疑問に思っているところもあって、記憶の糸を手繰り寄せ、探し出せるものならと考え、始めてみることにした。

自分が産まれてから、物心がつき体の成長とともに、母の姿を音楽の視点から捉える一番の印象深いところは、時折家で行われていた宴席での三味線の弾き語りである。傍らには小太鼓の甲高い音が、小気味よく合いの手を入れていた。

このときの母は、とても楽しそうにニコヤカに声を張り上げ酒席の花形を演じていた。その頃は、正月の大勢の来客のある祝いの席では、必ず母が三味線を弾いて歌うことが、常態化していた。もちろん踊り手も加わり、その賑やかな光景は、子供心にとても楽しくて、ワクワクしながら見ていた。

このような姿を度々見るにつけ、自分の音楽観は、産まれる前の母の胎内で胎教として自然な息遣いのように、取り込まれていったのではないのか、そして、そのまま大人の世界に溶け込み、ラジオなどで時折聴く歌謡曲なども素直に入り込んでいったような気がしている。

時系列的に考えると、以上のようなことになり、いわゆる音楽としての芽が出て、その芽から成長し続けた。そして、小学校の確か四年生頃に、ラジオから流れてくる「橋幸夫」の『潮来笠』の曲に、なぜだかハマりにハマってしまった。

この現象は全く分からない。感性の一番深いところに触れてしまったとしか、言いようがない。それからは、ラジオから流れる歌も中学に入った頃より学園ソングの「舟木一夫」を始めとして「西郷輝彦」、「三田明」と続きだした。