【人気記事】「非行」に走った青年時代…医者になった私が当時を思い出すと『腐ったみかんが医者になった日』

第2章 信仰の根拠は主イエスとの 「霊の一体性」

「ヨハネ」6:37 父がわたしにくださる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのもとに来る者を、わたしは決して追い出さない(著者注:契約によるイエスの血は死ぬまで一体です。それどころか、死後も霊は天でともに過ごすのです)。

「ヨハネ」14:18 わたしは、あなたを捨てて孤児にはしません。(よみがえって天に上った)わたしは、あなたのところに(天の権威を携えた霊として)戻ってきます(著者注:神の三一性によって、主イエスの血が流れるあなたは神の宮となり、聖霊があなたに宿ります。これ以上の霊の連帯と結束の保証はほかにありません)。

14:20 その日には、わたしが父の中におり、あなたがわたしの中におり、わたしがあなた(がた)の中におること(著者注:血の契約の原理)が、あなたに分かります(著者注:そして死んだら主イエスの血とともに、霊は必ず天に昇ります。つまり天国に移される保証でもあるのです)。

この約束を正しく受け取るには、自己認識の霊性において、「私は神の義・神の子とされた者です」という告白でなければならず、そしてその「霊の関係性の根拠」を、自分の意志と手段によって構築したと確信する自意識に刷新することです。

そのためには、《今、欠落している[イエス・キリストを信じたら、神の子とされるその論理性]》を、正しく知識として学ばなければなりません。「憐れみ」にすがっても手に入りません。

1.自分の意志とは、イエス・キリストを救い主と信じて信仰告白し、全能の唯一神に帰依することへの、「命懸け(真剣さ)の決意」です。

2.そしてその手段は、聖餐式による杯で「血の契約」を交わした者として、〔イエスの血と自分の血とが混ざり合うから〕、「過去のない〔イエス・自分という〕新しく生まれ変わった人格」であると、自分の霊的立場の認識を一変させることです。

そうでないと「信仰の行い」のつもりが、単なる善行にしかなりません。その端的な例が、先に述べた『旧約聖書』「ヨブ記」のヨブの生活態度です。「ヨブ記」1章~37章までの彼は、「噂の神を恐れて悪から離れた善人」でしたが、しかし神様の側につく信仰者ではなかったのです。だからサタンに苦しめられました。