我輩も負けずに、
「それは分かりますが、決断力も方向を間違えると最悪になりますよ。特に昨年九月末に締結した日独伊三国同盟を基軸にするお考えだと聞きましたが、これを基軸に据える限り、米国との交渉はにっちもさっちも行かないような気がしますけど……」
と言ったら、
「それはどういう意味かね?」
と我輩の主人が珍しく尋ねてきた。
そこで我輩は次のように答えた。
「昨年六月仏国は予想通りあっけなく敗北。今や欧州で独国に対抗しているのは英国だけ。その英国は米国を引きずり込もうと画策し、米国は米国で宣戦布告もしていないのに英国に大規模な軍事援助をして英米連合を結成し、日独伊三国の対抗軸を構築。日本が三国同盟に引きずられて英国に宣戦布告すれば、英国はアジアの利権を死守しようと米国にもっと大規模な支援、或いは参戦を要請せざるを得なくなる。しかし公式に参戦できる環境にない米国は困る。ということは日本と独国の引き離しこそ英米両国にとって共通の利益になる訳で、日独が三国同盟でスクラムを組んでいる限り米国との交渉の大きな障害になりませんか?」
これに対して我輩の主人は
「うーむ、確かに日本が三国同盟死守を貫けば日米交渉の障害になる可能性はある。ただ儂は英米連合に関して言えば米国はまだ欧州とアジアの二正面作戦を展開する時期に来ていないと観ているので何らかの突破口はあると思っている。ま、それも今後の情勢次第だろうが……」
と言う。何となくご主人自らを無理に納得させていたように我輩には響いたが黙っていた。
大使受諾の決断に当たっては単に外務省の人材問題だけではなく、我輩のご主人自身の現状に対する鬱々とした不満、本人の自信、米国の知己への甘えと期待などが複雑に錯綜したのだろう。実に健気な決断だったが、我が柴犬種族の観点からすれば我輩のご主人の起用は明らかに不適材、不適所以外の何物でもなかった。そしてそれはこれから嫌というほど表面化してくる。
こうして二十日間近くも船と列車の旅を一緒にしながら語り合ったことはその後我輩のご主人をサポートするのに大変有意義だった。
ともあれ、我輩は我輩のご主人の深層心理に複雑かつ不安な思いを馳せつつ二十日間余りの船と列車の旅を続け、我輩一行はいよいよワシントンD.C.に到着した。
時に一九四一年二月十一日。いよいよ緊張の始まりの幕が切って落とされた。