孝介の視線が、トンボの浴衣に注がれている。それを避けるように目を伏せると、女の子と手がつながっていた。金魚の浴衣を着てゴム草履をはいている。まだこの浴衣着られるのね。
孝介たちもお参りを済ませた。
よし子は女の子の前にしゃがんだ。
「その浴衣、かわいいわ。もう男の子にいじめられないわよね」
女の子は恥ずかしそうにうなずいて、孝介を見上げた。
商売とは別の声が孝介の耳を掠めてゆく。およしの二階で聞いた声が、孝介をとらえる。記憶が過去形になっていない。
よし子のうなじを見つめたまま、孝介は立ち尽くしていた。
月曜日の夕刻、まだ早いのに、店は賑やかだった。粟本工業の従業員六人がテーブルを占拠していた。監督の村木は健康を取り戻したようで艶も良く、奥の席で笑顔だった。孝介も穏やかな表情で隣に座っている。若い人たちはビールをうまそうに飲んでいた。
村木はよし子と孝介の仲は知っているはずだが、孝介が家族を呼び寄せてからはそれも終わったと思っていることだろう。確かに終わったのだ。孝介は一人では店に来なくなったもの。若者は自分たちの楽しみが優先、陽気で屈託がない。
村木がよし子に上機嫌で言う。
「今日一つ大きな仕事がまとまってね、これから取りかかるんだ。役所に関連しているから信用にもなるし、うちにとっては明るいニュースだ、というわけで若いもんを景気づけに飲ましてやろうって。打ち上げもここでやれるように頑張らないとな」
よし子はビールを注ぎながら、店の中の目配りをしていた。酒が回ってきた若者たちは他愛のないことで笑っている。
茄子のしぎ焼きを孝介のテーブルに運んだ。
孝介の顔がほころぶ。好みは故郷の香りのするものだ。
村木がおもむろに話していた。
「孝さん、奥さんを働きに出して良かったよ。今まで体を動かしてたんだ、都会のアパートの中に閉じ込めておくのはかわいそうだ。このごろはパートに出てる主婦が多い。それに花屋なら今までの経験も生きるんじゃないか」