あなたがいたから
脳腫瘍になって
雪が降り凍える様な、とても寒い日の事だった。一歳二か月の長男は、正月に従弟から中耳炎を起こす風邪をもらい、寝込んでいた。病院から処方された抗生物質も飲んでいたので、このまま休んでいれば大丈夫だろうと思っていたのだが、消化不良となり、しかも痙攣まで起こしてしまったのだ。
当時の私は何もかもが初めての新米ママ。真っ青な顔でピクピクと体を震わせている長男の様子を見て、もう何が何だか分からず慌てて救急車を呼んだ。
病院でも痙攣を起こした原因が分からず、そのまま検査入院する事になった。まだ小さかった事もあり、入院中に水疱瘡や肺炎にもかかってしまい、回復どころかなかなか退院する事ができなかった。
当時の私は、顔は真っ青、小さな身体で、ぐったりしている長男を見て、自分自身もどうしたら良いのか、心臓がはちきれそうだったのを思い出す。このまま死んでしまったらどうしようかと。
そんな時も彼は仕事が忙しく、とにかく一人で心細かった事を覚えている。又長男は退院後も風邪を引くと、ぜんそくの様な気管支炎にかかり、枕元にはいつもバケツを置いていたものである。
二男は、丈夫であまり病気はしなかったものの、夜泣きが酷く二人で交互に、冬の寒空の中おんぶして、寝かしつけるという状態だった。何故か夜泣きというのは、冬の寒くなる頃から冬の終わりまで毎日続くのである。暖かくなると落ち着くから不思議だ。それが二年間位は続いた。この頃も彼の仕事は相変わらず忙しかったのである。
二男が小学校に入った頃から、私もよく働いていて、一つの仕事をしながら、二人で別のバイトをやっていた。この頃はあっという間に過ぎていった様に今では思う。色々の頑張りも、彼がいたから、二人で頑張っていたから、ここまでやって来られたのかと思っている。私が頑張っている後ろで温かく見守ってくれる人がいる、それだけで十分だった。彼も同じ気持ちだったと思う。
特に二男を医学部に入れようとしている時は、ストレスとの闘いだった。いくら頑張っても先が見えなくて、自分でも「こんなに頑張っても、どうしてうまくいかないのだろう」と、一人で悶々と悩んでいた。ストレスで胃腸薬がかかせない毎日だった。
でもそれも彼がいてくれたからこそ、乗り越える事ができたのだと思っている。とにかく、二男本人も頑張っていたし、一番本人がストレスの塊だったに違いない。共に同じ方向を見て、過ごした日々はかけがえのない日々だったなと今になって改めて懐かしく思っている。