と、誰もが思っていたが、一向に仏壇から下がることはなく、いつまでもいつまでも供えてあった。となると推して知るべし……。私もメロンなどを見るのは生まれて初めてで、いつ祖父から食べさせてもらえるのか、どんな味のするものだろうか、とか、いろいろと思いを巡らせてドキドキして、毎日仏壇のメロンを今か今かと待ちわびていた。
結局は、誰の口に入ることもなく、仏様だけにタップリと食べてもらったことになる。この時のショックは、自分ながら収めるのに大変だった。母なども「早く食べないと腐ってしまうのに!」と言っていたが、祖父にその声は届かず、つまり、あの世までメロンを届けてしまったのだ。
その頃はメロンを食べたという話などは、住まいの付近では聞いたこともなく「メロン! メロン!」と、友達にも仏壇を見に来てもらいたいぐらいのワクワク感でいっぱいだった。がしかし、メロンは夢物語に終わった。このことは、自分には大きな事件であったために、心に焼き印が入り今に至っている。
このような祖父から教えてもらったこと、というより毎日の行いとして正されたものとして、食事は必ず正座して食べる、ご飯の一粒も残すことなく、たとえ畳に落ちても食べることがあった。「いただきます」「ごちそうさま」を必ず。とにかく食事は感謝して食べることを叩き込まれた。
このようなことを述べると、テレビの映像でも目にする名刹で修行している雲水のような日常と重なるところがある。人が生きていく上においては、食べることが一日のエネルギー源となり、自身の体を維持できる。この行儀よく食べる行為と感謝の心は、最も人間の尊厳となるものではないかと考えている。
今では自分にも子供や孫ができて、古希を迎える年になり、カウントダウンも聞こえてきそうな残りわずかな時間を生きている。そのため祖父の存在が色濃く思い出され、これらのことを教えてくれた祖父に、どれだけ今後近づけるか甚だ疑問符の付くところであるが、これからも影を追いかけていきたい。