二、牛李の党争

「左程強くもない長安や洛陽に近く戦力の弱い藩鎮から勝ちを得たと、李吉甫が自慢し、今後も抑藩政策を推し進めるとまで言っている」

李宗閔が見込み違いだったと言わんばかりに声を荒げた。

「その上、短い戦いで勝利したので禁軍の移動、駐屯にかかる軍費も節約でき、財政負担も抑えたとまで言っています」

「天子様は、われらの意見に耳も貸さなくなってしまわれた」と、李宗閔が大きな溜め息を吐いた。

「今回は成功したようですが、北方地域の藩鎮は経済的に独立し、長安近くの藩鎮とは比べ物にならぬ軍備、兵力を持っています。力で押さえようとすれば、禁軍も相応の損害を受けるでしょうし、その後の統治も思うようにはならぬはず」

牛僧孺が歪めた口許へ盃を運んだ。

「時代が変わり、盛唐の頃の統治体制に戻れぬことが、李親子には分からぬらしい」

「過去の繁栄を忘れられずに、旧来の体制に戻すことしか考えぬとは、哀れとしか言えません」

「息子の李徳裕は、貴族の特権を守ろうとしか考えていないらしい」

「李宗閔殿のような名門貴族であっても科挙に及第し、誰に批判されることなく進士として任官した方もいらっしゃるのに」

「李徳裕は科挙に及第する自信がなかったのでしょう……」

二人は顔を見合わせニヤリと笑った。 

「貴族子弟であっても科挙に及第し進士として官吏になるのが当たり前、李徳裕は時代の趨勢(すうせい)が分からぬ、愚かしい男なのでしょう」

「確かに、若い貴族で実力のある者は特権など用いず官吏に採用されています。()逢吉(ほうきつ)殿の甥の李訓殿も科挙から官吏になったと聞いています。貴族特権に頼っていただけでは、優秀な人材が得られませんから」

「話は変わりますが、李寧(りねい)太子が急逝(きゅうせい)してから、天子様(憲宗)が以前に増して仏教や道教に心酔していることご存知でしょうか」

「知っています」

「憲宗は太子に期待していらしただけに、十九歳でお亡くなりになった李寧太子が愛おしく、落胆が大きいのでしょう」

「だからと言って、財政に余裕がない中、准西州にまで藩鎮討伐の禁軍を派遣し、法門寺に仏舎利塔を建設させているのですから、天子様の仏教への傾倒は度を過ぎていると思いませぬか」と、李宗閔が苦い顔をした。

「私もこれ以上の仏教寺院への出費は賛同できませんが、天子様はわれらの意見を、聞き入れては下さらないので……」

重苦しい場の雰囲気を察したのか、牛僧儒の横に座る妓女が盃に酒を注ぎながら、李宗閔に目を当てた。

「舞の準備が整っておりますが、いかがいたしましょうか」

探るような控えめな声だった。

「そうだった。舞を見に来たのを忘れていた」と、李宗閔が口許を弛めた。